【MSW】約3ヶ月目でやっていること

ケース数

所属している病院の規模や病態期によっても違いはあるだろうが、私のいる回復期病棟では、だいたいベテランの人で40ケースほど。私は3ヶ月で15ケース前後を受け持つことになった。

以前、MSWの集まりに行った際に他の人が何ケースくらい持っているのか聞いてみたら、入職1ヶ月で、しかも前職でMSW経験もない人でもすでに5ケースを持っていると聞いて大いに驚いた。

 

入職1ヶ月の頃の自分といえば、入院相談を受けること、電話の取り次ぎをすることくらいしかやらせてもらえなかった。トライアル&エラーなんて許されないし、少しでも電話でまごついてたら「すぐ変わって!」と主任が血相を変えていたものだ。以来、“よくわからない”電話があったらすぐに主任に変わるようにしている。

 

さて、話がそれたが入社3ヶ月ともなるとじんわりと病院の中が見えてくるし、じんわりと慣れてくる。人にも業務にも。

 

入院から退院まで

MSWのやることとしては、入院から退院までの一貫した支援である。入院生活もさることながら大きく比重をかけているのは退院の支援。入院したら、退院をみすえていく。

これが今の日本の、医療界に求められていること。

この価値観に立って支援をしていく。

回復期リハ病棟は病気によって入院期限が異なるが、その期限を1日も伸ばすことはできないし、いつまでも「患者さん」でいるのではなく、「◯さん」という一市民としてのその人の生活を「取り戻す」ことがMSWのお仕事でもある。

初期に受け持ったWさんは3週間ほどで自宅に帰っていったし、間もなく退院する人も40日ほどのリハビリで帰っていく。

 

退院について考えること

入院してきて早々に退院の話をすることは、人によっては良いことだが人によってはキャパオーバーな話題でもある。

これまた初期に受け持ったMさんは脳梗塞後のリハ目的で入ってきたが、とにかく元気だったのに突然の発症。気持ちが追いつかなくてリハビリをして元気になるようなイメージも持てないでいた。幸い、家族が非常に協力的だったがそれでも家族にとっても本人にとっても人生を揺るがす大きな出来事であり、こういう場合には画一的なケアもコミュニケーションも取るべきではないだろうと思う。

 

思うのだが、ステレオタイプなことしかできないひよっこSWなので、なんとももどかしい。

でも、私が新人かベテランか、なんて家族にも本人にも関係ない。私が担当していることで「貧乏くじ引いた」なんてことがないようにしないといけない、と思う。

 

入院というのはある程度、条件が揃ってやってくる。

CRPが安定しているとか、既往症でリハを妨げるほどの心配がない、とか、本人がリハに積極的であるとか。

でも、退院時はみんな違う。退院したいと思うあまりリハの入らない患者さんも珍しくない。

一人ひとりの違いや思いを汲み取ってSWするということは、できる限り患者さん、家族の思いを実現させることだと思うし医療者とはまた違う言葉をもって関われることがこの仕事の良さでもあるのだろう。

 

言葉の重み、話し合いの重要性

かける言葉一つで信頼関係が揺らいでしまうし、入院中にナーバスなのは患者さんも家族も同じ。支えきれないもの、抱えきれない思いを持って日々過ごしている患者さんや家族の思いをただ想像すればよいのではなく、お互いに言葉にして話して、話したことをほかのチームメンバー(看護師やリハビリスタッフなど)に伝えて気持ちの方向について共通認識をもつことが大事。

大事なのだけど、それをするために日頃から他職種の人たちと良い関係を築いている必要があるし、なるべく苦手意識を持たないようにしなくては、と思う。

 

さしづめ、医師が一番その信頼関係を築くのが難しい人種。

普通なら素直に(?)どうも、と言われるようなことでも「あなたには関係ないでしょ!怒」みたいなこともある。

で、逆に気を使わないとそれはそれで怒るし。

そんな面倒臭さはきっとどの病院に行ってもあるのだろう。

 

まあ、どの業界にも変わった人はいるし変わった人と仕事をしていくのは社会人の宿命。誰かにとって、少なくとも医師にとって私もまた変わった人なのかもしれないし。

 

そんな摩擦も感じながらの3ヶ月。

15ケースが多いか少ないかはわからないけど、15人いたら15人の「帰り方」がある。それだけは心しておきたい。

【医療ソーシャルワーカー】機能別病棟のメリット・デメリット

今、私が所属しているのは「回復期」といわれるリハビリ病棟。

働き始めてまだ3ヶ月と満たないのだが、早速「この縦割り、すごい不便!」と思わされている。

病院の機能区分

医療法では大きく5つに病床を分けている。

だ。

一般、療養、精神はまあ聞いたことがある人も多いだろうが、結核感染症もわけられているのか、と気付かされる人も多いだろう。

さて、さらに病院は疾患の期間や症状により病院の機能を分けている。

である。しかもそれぞれにこまかな要件がある。急性期での治療を終えた患者さんが皆回復期リハにいけるわけでもなく、治療を終えても家で看られないからといって療養に行けるわけでもない。

それぞれの基準を満たし、なおかつベッドがあいていれば行けるのだ。しかも、これは恥ずかしながら仕事をはじめて初めて知ったのだが、療養にも介護型と医療型とあり、保険の区分が異なる(介護保険適用か、医療保険か)。介護型は医療型療養の「区分」(1〜3がある)の分け方に分類できない人が利用できることになっている。

精神病床も急性期、療養、身体合併、認知症とあり精神科を掲げている病院でも受け入れ可能な病院はそれぞれ異なる。

地域包括ケアは最大2ヶ月しかいられないし、回リハは疾患も期間も限られているし、療養型ではほぼ多くの場合でDNRと呼ばれる、蘇生措置拒否の確認が入院前に患者家族に求められる。

 

そもそも疾病の時期区分は大きく分けて

  • 急性期
  • 回復期
  • 生活期

の3つに分かれている。

生活期になると多くの場合は施設、在宅の期間になっていくが急性期は病院での治療期間、回復期は自宅もしくは回リハ等でのリハビリとなる。

 

区分でわけるメリット

こうした区分があると、非常にシステマティックだ。病棟はやるべきことに専念すればいい。回リハで看取る必要はないし(建前上)、療養では積極的治療をする必要もない。そういう特徴を病棟に持たせて、役割を担わせてそこに患者を当てはめていくのだ。合わない患者さんは他を当たってくれ、ということになる。あと、それを望まない人も。

なので、ベッドコントロールが比較的しやすい(という計算が働く)。

区分でわけるデメリット

ところが厚労省や偉い人たちが考えるようにはもちろんいかない。

ある患者さんを例に考えてみる。

Aさんは89歳男性。脳梗塞で急性期病院に入院し、治療を終えて回リハに転院してきた。

入院当初より、右の麻痺があり、嚥下も障害されている。

経鼻経管で栄養を取りつつも、家族が嚥下訓練を希望。何度かトライしているが、誤嚥性肺炎になりかかっている。

ある日、熱発が続き検査してみると誤嚥性肺炎の疑いが。

この時点で回リハでは「急性期の病院へ転院」となることが多々ある。なぜなら、リハビリのできない患者さんは回リハの適用外だからだ。

こうしてAさんは誤嚥性肺炎をするたびに転院をするのだが、肺炎を引き起こしてから数時間、ではなく数日しての転院となることも多く、弱った体を西へ東へと移すわけでその負荷はかなり重い。

似たようなことは整形外科を例に上げてもある。

回リハに入院中に骨折して転院となる場合も、連絡をとったり予約をあれこれとしている間、せいぜい回リハで処方できるのは痛み止めくらい。

骨折に対しての治療は行えない。レントゲンくらいしか撮れない。

うがった見方をすると…

なぜこんな仕組みを国が作ったのかわからないけど医療費が右肩上がりの状態をなんとか食い止めるべく、無駄な長期入院を排除し、家での生活を促したいというのが第一義だろう。

実際、急性期も回復期も在院日数をいかに減らすかを至上命題のようにして取り組んでいる。

でも患者さんを見ていると、なんだか切なくなる。

回リハに入院中、具合が悪くなるたびに転院させられ、治療が終わればすぐに出される。それがたとえリハのできる状況とはなっていなくても。

なんだか緩やかに死に向かわせているような恐ろしさを感じてしまうのだ。

 

MSWに求められていることは

なので、こうした制度の中でどうしたらMSWは少しでも患者さんや家族のために尽くせるだろうか、と考えてしまう。制度を越えていくことは非常に難しいし、その制度の中で病院は役割を果たし、その病院の中でMSWとして役割が求められている。それをちゃんとやっておけばいいんだよというのはまず、あるのだろう。

だけど、おかしいなと思っていることについて問題を言語化したり調べたりすることも大事だなと思う。

その一方で、患者さんと家族の負担を十分に受け止めることも求められているのだろう。実際、回リハ病棟で「ここで看取ってほしい」とおっしゃる家族もいる。

今の病棟の医師は「まあ、無理に移してなにかあっても良くないからね」とやんわり看取ることもありだよねということを内々では了承してくれているので、「何が何でも回リハから出すぞ」という鬼ではない。

それに、思うのだが医師、看護師、リハスタッフなどさまざまな医療従事者と家族との信頼関係があればその中でできるだけ過ごしたいと思うのは患者さん、家族の自然な思いだろう。

在宅のケースでも全く同じことが言えると思う。

大事なのはそうした「安心のいつメン」みたいな人たちの中で患者さんなりその家族なりが相談したり、時間を過ごせること。

もう少し総合的に患者さんを包んでいける仕組みを作れないものかなと考え続けている。

 

 

【受療・受診援助】本当に良い支援とは何か。

最近、悩んでしまうケースがあった。

実際にはまだ担当患者さんはいないので先輩の手伝いをしていた中でぶつかった壁。

概略

Aさんは神経内科系を患い、当院に入院。予後は非常によく、まもなく退院を迎える。まだ50代の若さでもあり、職場復帰を一日も早くしたいという。独歩だしふらつきもないし、心配なところはあまりなく、スタッフ一同、退院に向けて調整していこうというところだった。

そんなときに患者さんから出た要望に「もう少し外来リハで見てもらいたい」というものだった。

リハスタッフからも「あとは日常生活の中でのリハビリと週に1回程度の外来フォローで見ていくのが理想」との話。

 

さて、どのように外来フォローにつなげるべきか。

 

「外来の対象外」という現実

私の勤める病院では、外来診療が行われているが、入院患者さんにしぼったものである。当然、この患者さんにも外来の門戸は開かれているのだが、「無料定額診療のための外来だから」という病院側の論理のもと、その患者さんに収入が一定以上あったために「門前払い」ということに。

外来リハにつなげることは決して難しいことではないはずなのに病院の都合により、患者さんの希望やリハビリスタッフの見立ても捻じ曲げて他院の外来リハに繋げなければならないということがあった。

悪く言えば病院は制度の悪用をしているともいえる。

 

そもそも病院は患者さんに適切な医療を適切なタイミングで施すべきなのではないか。そんな原理原則が通用しない病院はおかしい。

と鼻息荒くなってしまった。

最終的に行った支援

最終的には、他院の外来リハにつなげた。神経内科系の疾患ということもありそうした疾患も含めたフォローをしてくださるところを探さねばならず、やや困難だったが、当院でも患者さんのかかりつけ医も「外来リハできない」と言ったので全く関係のなかった他の医療機関につなげることになった。

受け入れてくださると快諾いただいて、その病院の株も急上昇。

 

患者さんの希望とも違ってしまったし、慣れたスタッフのもとでリハが続けられないのは非常に心苦しいケースだったが、見方を変えれば「その程度のサービスしか提供しようとしない病院にかかっていても、究極は患者さんのためにならない」と思って他の医療機関に繋げられたことを良しとする、と思うことにした。

こうしたケースはきっとこれからも今の病院にいる限り出てくるだろう。

また、もし他の医療機関に勤めていたとしても別の悩みは出てくるかもしれない。

ただ、このケースを通して外来リハでリハができないのか、先輩はリハビリスタッフの主任や医師などに掛け合ったりそうした知恵をいくつか考えて実行していた。

頭に血がのぼる前に冷静に考え、援助方法を模索していくしか無い。

また、患者さんのご希望に沿うことが大事だが、当院で完結できない支援もたくさんある(退院後はそのほうがはるかに多い)。

多角的に見て、最善の支援とは何かを絶えず考えていきたい。

おまけ

 コード・ブルーの再放送をやっている。医師がみんな若すぎる、とかなんとかもあるのだけど、患者さんのご家族へのICがあまりにもひどい。「子どもに声は届いているのか」という母親に「◯◯検査などを適切に行なった結果、脳死と判明しました」みたいな無味乾燥なやり取り。

 

いくらドラマとは言え、配慮のない物言いなどひどすぎるわと思い、一分でチャンネルを変えてしまった。

ただ、こうしたぶっきらぼうな医師がいるのは現実も同じ。

 

 

 

 

 

【介護保険】介護認定申請のタイミング

介護保険について

【適用者】

  • 40-64歳までの医療保険加入者(第2号被保険者)
  • 65歳以上の人(第1号被保険者)

【使い方】

  • 第2号被保険者は特定の疾患者
  • 第1号被保険者は要支援、要介護者
  • それぞれ適用となる人は申請して認定される必要がある

ものすごくざっくりまとめると介護保険とは、使える人が限られていて、使える場面が限られているということ。医療保険は生まれてすぐに(0歳から)使えて死ぬまで使うのに対して、介護保険はその名の通り「介護」のための保険なので使う範囲も使える年齢も、制限がある。

 

介護保険の申請方法

【用意するもの】

  • 申請書
  • 介護保険の被保険者証 ※40〜64歳の人は医療保険(健康保険)の被保険者証も。
  • 主治医意見書

【提出先】

地域の役所の福祉課もしくは地域包括支援センター

※地域によって名称などが微妙に違うので役所に提出先を聞くのが一番正確かと思われる。

介護保険とはそもそも

【健康保険と介護保険の違い】

企業などに努めている場合、健康保険は子どもが生まれて手続きするタイミングで手続きの一環として会社に届けをすると保険証がもらえて、それをもって病院にかかって病気の治療が受けられる仕組みだが、介護保険の場合は全然違う。

 

介護保険がを必要とするということは、病気や怪我など日常生活に何らかの困難や支障をきたして手助けが必要な状態である。その困難さを本人がいくら感じていても、それだけではつかえないのが介護保険である。どの程度、その人が生活に不自由を感じているのか、それを第三者が判断する「認定」のプロセスが必要となる。

健康保険を使う行為において第三者の「認定」による等級はないが、介護保険においては認定を受けなければ使えない、という仕組みになっているのだ。

 

しかも、本人の訴えと認定調査員と言われる第三者のチェックだけでは認定されない。主治医の意見書も審査会での審査も必要となる。ハードルの高さを感じるのは、このあたりのことだろう。しかも、認定調査は人が行うため、家に人が来て(もしくは入院先の病院に来る)チェックをしていく。

 

申請から認定調査まで1-2週間(おおよそなので前後はある)、認定調査から判定が降りるまでがおよそ1ヶ月とされている。

 

介護保険の申請のタイミング

結構難しいのが申請のタイミングである。

先日も脳梗塞で運ばれた人がすぐに介護保険の認定の申込みをしたという。したのはもちろんよいのだが、日々患者さんの状態は変化していくため、昨日できなかったことが来週はできる、ということもあるし、ADLが上がっていくこともままあるため、発症直後に認定を受けると実際に介護保険を使う頃には出ている要介護と本人状態が異なるということも珍しくない。

 

「僕は要介護3なんですよね」という患者さんの家族がいたが、入院時、患者さんのキーパーソンも務めておられて、認知症もなく、杖歩行はしているものの電車に乗って家に帰れて一人暮らし。お見舞いもきてくださっていてとても自立している。

おそらくその方が病気になったときに介護認定を受けたのであろう。

 

こうしたことは全然珍しいことではないし、要介護度が高ければサービスもたくさん使えるし、良さそうに思えるが事はそう簡単ではない。

 

要介護度が高いことによって、たとえば施設入所する際に金額が高くなるということもあるし、結局は「使わない」し「使いにくいもの」になってしまうケースも多い。

 

【再認定もできる】

一度認定を受けて機関が定まったからといってその期間、再認定ができないということはない。なので、発症当時は要介護3だったけど、リハビリをして要介護1程度になっているから認定を受け直したい、ということであればそうしたこともできる。

介護認定を受けるタイミングは、介護保険の利用が必要になったとき、というのはもちろんだが「体の状態が安定して維持されるレベルがある程度わかってきたら」というタイミングも重要である。

大事なのは自分のレベルにあった(ずれのない)介護認定を受けることである。

 

とくに在宅での生活を続けつつ介護保険のサービスを使う場合は、「ケアプラン」というものが「ケアマネジャー」という人によって作成されるのである程度正確な介護認定がある方が、その人にふさわしいサービスを受けられることになる。

 

40−64歳の適用者については別記したいが、勉強していてもわかりにくい制度。関係なく生きてきた人にとって難解も良いところであろう。ソーシャルワーカーとしても「わかりにくい制度をいかにわかりやすく使いやすくできるようアドバイスできるか」工夫していきたい。

 

 

 

【医療ソーシャルワーカー】担当者会議の現場

まだまだ、ひよこにもなりきれていないので「外から見た」担当者会議の現場と表現するほうがふさわしいが、担当者会議に出席して感じたことをまとめたいと思う。

担当者会議とは

社会福祉士とひとくくりに言っても、さまざまあるように担当者会議といってもMSW(Medical Social Worker)とSSW(School Social Worker)、施設の生活相談員などで少しずつ異なる。ここでは医療現場での話にしたいと思う。

 

退院前のカンファレンスの一つに担当者会議がある。必ず開かれるものでもないが、とくに自宅に帰る場合などは入院前(自宅で暮らしていたとき)と患者さんの状態が全く変わってしまっていることがある。そうしたときに必要なサポート、キーパーソンとなる人物の確認などが改めて重要になる。

ある事例から

さて、先日退院したAさんのケースから。
Aさん(70歳)は元気で家のことはなんでもしていた女性だった。病気らしい病気もしたことがなかったが、冬に脳梗塞を発症。麻痺の程度が重く、今は失語症と右半身の麻痺(完全麻痺)をおっている。ADLの自立はとても見込めず、座位も保てないほど。

一人息子さんを亡くしていたこともあり、夫は妻である患者さんの自宅退院を強く希望。そのために必要なサポートと現在のAさんの状況、状態を確認するための担当者会議が開かれた。

担当者会議で話したこと

担当者会議には病院側からMSW、ナース、OT、在宅支援の立場からケアマネジャー、訪問看護スタッフ、訪問リハスタッフ、地域包括の主任、夫、夫婦の友人が出席した。

現在のADLや食事の介助度、排泄などがナースから報告され、それに在宅の訪問看護スタッフが質問をして話が深まり、進んでいった。病院ならスタッフも環境も整っているが、自宅での介護となると、たとえばベッドから車椅子にトランスすること事態が非常に重労働で夫一人では難しい。食事一つとっても、在宅で3食をどう食べていただくか、とても頭を悩ますところである。

今回担当のケアマネジャーさんは、Aさんの状態を見て在宅は困難と判断。かなり強引に施設を進めてきたり、高級な車椅子購入を推し進めたりとカンファ前からヒヤヒヤさせられていた。

担当者会議のときには、「ご主人はどうしても在宅ってことですので、その方向でケアプランを精いっぱい考えさせていただきます」と話してくれたのでほっと一安心だったが、施設入所は諦めきれないようで「とりあえず在宅ですが施設も視野に入れたサービス利用も...」など話していた。

 

各担当者から病院のスタッフへの質問や確認が今回の会議のメインであったが、その中でも改めてAさんの症状の重さを認識させられる事となった。

・時間の感覚はなし

・人もわからない(夫のことはかろうじてわかる)

・意に反すると叩いたり蹴ったりする

・言葉は全く発せられない

・口も開かない

・一日の半分以上はベッドで寝ている

 

などなどであった。

大切にすべきこと、やるべきでないこと

今回の会議でまず、考えたのは夫とその友人の存在のことだ。

専門スタッフは専門用語も重度の麻痺の残った患者さんの対応も慣れている部分があり、「こういう場合はこういうサポート」という図式のようなものが頭に浮かぶ。今回のケアマネさんの対応はまさにそうだったのではないかと思う。
重度の麻痺のある患者さん=施設入所。
夫一人で看る?無理無理!!と。

そう思いたくもなるし、経験からの善意の提案であるのだろう。

だが、夫は「まずは妻とゆっくり暮らしたい」という切実な思いがあった。それを精一杯支えたいという友人の存在もある。

MSWは、この「思い」を最初に、そして最後まで大事にしなければならない。

私たちは生きていて、いくつもの分岐点に立たされ、何かを選択して何かを諦めていく。

たとえば闘病中の小林麻央さんは在宅での治療を選んでいる。それは彼女にとって安らげる場所、病気と闘える場所が自宅だからだろう。幾人もの手を借りつつも彼女にとっての、家族にとってのベストは家だったのだ。医療機器もほぼなく、専門スタッフがいなくても、必要なのは家族ということなのだろう。

 

翻って今回のケースでも夫にとって妻はたったひとりの家族であり妻なのだ。

息子を亡くし、辛い思いをしてきたから「妻と時間を過ごしたい」という夫の思いがあった。これをどうやって最大限サポートしていくか。そのサポートをより良いものにするためにも、担当者がお互いを信頼しないといけないし情報共有をして思いを、モチベーションを合わせていくことが大事なのだろう。

 

会議の性格ゆえ、専門用語でAさんの状態を確認しあうのは致し方なかったが、友人が呆然としておられる姿をみて、何かのフォローが必要だと感じた。そこに、地域包括の主任の方がそっと近づいて「Aさんが家に戻ったら◯◯のようにしてみましょうか」など、とても前向きでそして包み込むような口調で提案をしてくださっていた。ようやく夫も友人も表情がほぐれたが、こうしたさりげない言葉かけも大事だと感じた。

 

Aさんは言葉も出ないし、あれもこれもできない、という側面もあるが一生懸命に反応し、気持ちを表し、生きている。

何もかもできたときを知る夫や友人にとってこの現実の落差に気持ちが追いついていくか、彼らのメンタルが心配ではあるが、今のAさんもとても素敵で、きっと病む前よりも素直だ。

いろいろなことに思いを馳せつつも、シンプルに、「患者さんとご家族の気持ちに立って」を支援の中心において働いていきたい。

 

 

 

 

【読書】「孤独」から考える秋葉原無差別事件

秋葉原無差別殺傷事件とは

 東京地裁の検察側の冒頭陳述より事件の概要を紹介したいと思う。

本件は2008年6月8日、秋葉原のメーンストリートで、歩行者天国が始まって間もない午後0時半ごろ、被告が2分間に合計18人に対して、殺害行為に及び、7人の命を奪い10人に重軽傷をおわせるなどした事案。

「孤独」から考える秋葉原無差別事件 資料より

 加藤智大という当時26歳の若者が白昼、都会のど真ん中で起こした事件としてセンセーショナルに報道され、いまだに記憶している人も多いだろう。無差別殺人でもあり、社会全体に怒りと悲しみが広がったこの事件、「極悪非道の若者の犯罪」で片付けることのできないたくさんの宿題を、課題を社会に残した。

本著は加藤被告が事件を起こすに至ったそのエッセンシャルの部分に踏み込んで対話形式で展開していく。

数多くの被害者や今もなお後遺症で苦しむ方々にとって「悪魔」でしかない被告であろうが、被告が「悪魔」に至るまでには26年という月日と彼の置かれた生育環境はとても深い根でつながっている。

 

事件を一言で表現した言葉

どこかで聞いたことがあったかもしれないが、本著を読んで改めて衝撃を受けたのは、この事件を誰よりも深く洞察し、捉えていたのは被告にほかならないという事実であった。

加藤被告は、

「人と関わりすぎると怨恨で殺すし、孤独だと無差別に殺すし、難しいね、誰でも良かった、なんかわかる気がする」

と事件前に携帯サイトに書き込んでいたという。

ちょっとこんな表現は思いつかない。私のような凡人にはおそらくこんなスパッと言い当てるような言葉は到底出てこない。

本著の著者、芹沢俊介氏もこの言葉に非常なショックを受けたと述べている。

 

この言葉は親と加藤被告の距離を言い当てているのではないかという仮説で芹沢氏と高岡健氏が考察を重ねている。

 

加藤被告の生育の手がかり:行動化

加藤被告は就学前から「虐待」を受けて育ったという。トイレに閉じ込められる、上階から落とされる、小学校に上がると、鉛筆の削り方が悪いと芯を折られて削り直し、九九を間違えると湯船に顔を押し付けられる、トイレの水を飲まされる、食事が遅いとチラシに料理をぶちまけられ、食べるよう強要される...虐待の実態は枚挙に暇がない。

 

母からの虐待は形を変えて続く。進学する大学のレベル、資格などなど親からの要求が続いていく。自殺企図もあり、一度は「家族」の再構築を試みるが、両親の離婚により本当に深く加藤被告は傷ついていく。

こうした母のあり方は「行動化」というらしい。

たとえば、「鉛筆の削り方が悪い」と思ったら、おそらく、一緒に削ってあげて言葉で説明して...を繰り返して、本人ができるようになるのを見守ると思うが、だめ=芯を折るというのは非常に暴力的でダメなことに対して懲罰的に行動に出てしまう、躾の仕方だったらしい。

躾とはいえず、虐待と言えると思うものだが...。

 

いずれにしても行動化してしまうことで子どもの心身に深い傷を残すし、その傷がまだ新しいうちに次の傷がついて、手当もされないまま放置されてしまうと子どもの心は静かに死んでいく。

親殺しの前に子殺し

この事件とは少し違うが、青少年の親殺しの事件というのが時々ある。芹沢氏は「親殺しの前に親による子殺しがある」と分析するが、その通りなのではないかと思う。加藤被告の場合もまた、親によって精神的、心理的には殺されていたといえるだろう。

加藤被告は両親について「両親とは精神的つながりのない家庭で、ほぼ他人だが、他人ではない」と複雑な思いを込めて語っている。

この親にとって子どもはどのような存在だったのだろうか。

どんな親でも子どもにとって親は親。だけど、どんな子どもでも親にとって子どもは子ども。大事な存在だと思えているのだろうか。

もしも思えていたとしても、人は虐待をしたり自分の理想を押し付けたり、価値にはめ込もうとする。

それってすごく悲しいこと。

そして、子どもを殺しかねない。精神的にも、時には肉体的にも。

そうならないためにもこの本から親子関係というものを、人というものを深く見つめることが重要なのではないか、と思う。

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「孤独」とは何か

本著を読んで気付かされたことだが、本当の孤独は「拠り所」のないことである。

たとえば、わかり易い例として家族がいて、その一歩外に会社の同僚とか友人とか、親しい日々の付き合いをする人がいる。

もしもその一歩外の世界にそうした存在がいなくても「ここに家族がいる」「これが私の家庭」という存在があり、そこがやすらぎならば、「ひとり」という空間や時間があっても真の孤独ではない。

でも、もしもその真、核となる拠り所がないと人は孤独を感じる。それは、一歩外の世界に友達がいても、仲間がいても。

 

宗教はその「核」を埋めてくれるもの。

私はずっとそう思っていた。

ちょっと余談になるが、私自身はキリスト教徒だが、聖書の神様がその「核」を埋める存在であるというのは否定しないが、それは一部であって全部ではない。残念ながら。

よく言われることだが十字架の縦は神様との関係、横は人との関係である。

神様は、神様と私、という関係を大切にしてほしいと願っているが同時に私とあなたという横の関係も大事にしてほしいと願われる方である。

 

横の関係の中で埋められない思いを縦の関係で満たすのではなく、横の関係を築くことを望んでおられるのが神様なのだと思う。

残酷といえば残酷。でも、それは神様の誠実さでもあると思う。

私たちはあるべきところにあるべきものを置かなければならない。ほかのもので穴埋めしたり、その場しのぎで置くことは、長い目で見たら良いことではない。

 

話を戻すと、加藤被告が親との関係の中で埋めることのできなかったもの、親との関係の中でずたずたに壊されたもの、壊れたもの...事件はその最後に必然的に出てきた彼なりの、親から学んだ「行動化」にすぎない。

「孤独」から考える秋葉原無差別殺傷事件 (Psycho Critique)

 

 

 

 

【読書】「家族という絆が絶たれるとき」

家族という巨大ないきもの

家族というものを語ったり分析した本は世の中に数多ある。本著では、家族を家族と子ども、家族のこころ、家族のからだという捉え方でまとめたものである。おもには、いじめをふくむ少年犯罪を軸に展開している。

 

家族と子どもより

家族と子どもの章の中に興味深い分析があった。ここでは親殺し(未遂も含め)、少年少女が「性」という視点から捉えている。筆者は章の冒頭で

ことによるといま、男の子も女の子も、それぞれの相補的存在でみなされることを、さらには対的存在の前段階に位置づけられることをも、厭いはじめているのではないだろうか。

と指摘する。この背景には女性の社会進出だとか一億総活躍だとかといった政策や社会の風潮も関係している気がするが、それだけではないようにも思う。

最近の傾向(かどうかはわからないが)ことさらに「男性である自分」「女性である自分」というのをアピールする若い人たちに出会うことがある。

私は普段、そうしたことを深く意識しないせいか、閉口してしまうが、「かわいい」

「きれい」といった通り一遍の褒め言葉を多用して「今日も『女性として』うつくしい」というジャッジが学校で、職場で同性の同僚、クラスメートの間で交わされる。こうしたことに対する拒絶反応をもつ人に対して「そういう人もいるよね」という余地を狭い社会は残してくれない。彼ら・彼女らの居場所はないように思えてしまうのではないだろうか。

母親に自分の存在がまるごと受け止められたという「受け止められ体験」が希薄であるとき、子どもは次の段階へ進めない。受け止め手としての母親に出あえない子どもは、男の子であれば、父親と出あうことができない。父親に出あえないということは、社会性としての自分を父親との葛藤をとおして手に入れていく、その機会を得られない......中略......

女の子は、おそらく同性への同一性の感覚を肯定的に獲得できないのではないか。

 

こうした分析も議論の余地はあるだろうが、傾向としては否めないような気がする。先日、保育園に通う3歳の娘のお迎えに行くと、私の顔を見た途端に泣き出した。どうやら、遊びの中に入りたくて、すっと娘が輪に入ろうとしたところ、遊んでいた子どもに「『一緒に遊ぼう』って言わないのに勝手に入ってこないで。」と言われてしまったらしい。

 

娘にとってはショックな出来事。おもちゃを勝手に取ったわけでなし、同じ保育園の中でどんなふうに遊びに加わっても良いような気がする。

帰り道、泣きべそをかく娘を抱っこしながら「そういうふうに言われてすごく悲しくなったんだね。ママはね、嫌な思いをしてまでその中で遊ばなくてもいいと思うし、その子に謝るとかまた仲良くねっていうのも違うと思ってる。

また遊びたくなったら『一緒に遊んで』って言えばいいよ。でも、悲しくなって嫌になって、無理やり遊ぶことはないんだよ」と伝えた。

正しいかどうかはわからないが、大事なことは娘が傷ついた自分の心を自分で受け止めて自分なりに人との距離をもてるようになることであり、私自身は娘がたくさんの人と仲良くなることよりも、人との関わりの中から多くを学べる子になってほしいと思う。

受け止め手として、未熟であり不完全だけど、親としてはまるごと以外に子どもを受け止めようがない、のも実際のところである。

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家族のこころより

さまざまなテーマが入っているこの章。この中で子どもの問題行動について

「治療」と「指導」でせめたてられる子どもたちの様子が浮き彫りになっている。「言うことを聞かない子ども」に対してたたいてしつけをする親たちの4割近くが「叩いてよかった」とアンケートに答えているという。これは結構驚く結果だった。

そうか。こんなに肯定的に叩いて教育する考えがあるのか。暴力を肯定してしまうのか。と。

 

また、子どもの「問題行動」を親も受け止めきれず、「素直な子どもになるように」と精神科に連れて行くケースもあるという。

当事者でないとなかなか理解できないかもしれないが、叩くことも子どもを理解できないことも親にとっては「それ以外に何も選択肢がない」という思いの結果だと思う。精神科に行くとか、相談するという知恵があるぶん、マシな気もする。

かくいう私はどんな些細な場合でも叩くのはよくないと思っている。だけども、自分の気持ちに鬼のように(文字通り)怒りが募って手が出てしまうことがある。力ずくで座らせたり立たせたりという感じで叩く、というのとは違うものの、娘に恐怖心を与えている時点で「最悪だな」と自分に思うし、娘に謝るけども、子どもの心を壊してしまっていることは変わりない。

 

「問題行動」が果たしてどういう種類のものなのか、どう家族は対応できるのか、この本には家族の側への何らかの救済案はなかったが、行動を起こす子どももまた、言葉にならない思いを抱えていると思う。

アドボカシーという考えがあるが、ソーシャルワーカーとして正しくadovocateしていくことが求められるだろう。

 

家族のからだより

親はほとんど条件つきでなくては、子どもを可愛がることができない。逆に子どもはどんな親であっても自分の親だからということで心のどこかで好きなのである。

ほとんど無意識にそれこそ選択肢などなく、子どもは親を喜ばせたいと思っていて健気なまでにがんばる。「良いんだよ。大丈夫よ。何があってもあなたは大事な子どもだよ」とくりかえし、くりかえし伝えて何度でも港になって、子どもが帰ってこられる場所になることが大事だと思う。

元夫の両親はそうしたことがどうしてもできず、今もできないがゆえに元夫にとってそうした港をもたないまま、今も帰る心の場所がない。

子どもにとって親はいつでも戻れる「場」でありたいと思う。

家族という絆が断たれるとき (サイコ・クリティーク)