それとなくソーシャルワークする危うさ。

ソーシャルワーカーとして働きだしてようやく半年と少し。

その中でほとんどのことがわかっていない。わかっていないことにすら気づかないでその場がすぎていく。後で知ることも多い。

 

たとえば、有料老人ホームの入居までの手続きの流れ、必要な書類、とかサービス付き高齢者向け住宅の相場感とか仕組みとか。それとなくわかっているけど何となく...でしかない。

それなのにもう60件とか患者さんを担当している。大丈夫か、自分と思うことが多いが、怖いのはそういう知識がないことだけではない。

ソーシャルワーカーとは」「ソーシャルワーカーとして」の矜持が自分に無い気がするのが本当に末恐ろしい限り。

 

先日、職場の会議で「患者さんや家族に病識を持ってほしい」というのはこちらの押しつけであり、持ちたくないものをもたせるのは何なんだろうか、みたいな話になり大いに反省した。

車を運転したい、だけど脳梗塞で高次脳あり、といった場合に「ムリムリ、運転なんて絶対ダメ」というのを当然と思ってしまっていたしいかに「説得」させるかという視点になりがちだった。

そうじゃないんだろうと思う。

注意障害などあって運転するのは本当に危険だと思うが、自分のイメージ通りに患者さんを沿わせていくものではないし、そういうふうに少しでも自分が動きそうになっていたらそれは絶対ダメだなと思う。

 

全然違う件で、そんな誤解を招いてしまったというか事実、少し自分でもそう促してしまったケースが有ったが、多分1/100でも自分の中にそういうバイアスがあったらソーシャルワーカーとしてはだめなんだろうと思う。反省。

まだ、何も動いていないけど、手厳しい忠告も自分に気づくチャンスとなったのは良かった。

まだ解決もできていないのでなんとかせねばな。

 

【MSW】半年過ぎました

入職半年のケース数

ちょうど入植して半年が過ぎた。病棟のソーシャルワーク勤務を始めてからはまだ5ヶ月弱。まだまだおっかなびっくりだが、秋からフロアまたぎで業務をすることになった。

だいたい2フロアで40件だとちょうどバランス良く先輩も40件ですすめられると考えていたが、先輩の一人がこの冬辞めてしまう。

というわけで、12月下旬からケース数は一気に50件以上となってしまった。

 

それはそれで大変かなと思いつつも個人的には経験を積める機会だとすごくポジティブに考えている。

いまは多分、そういう気分なのだろう。仕事が一番楽しいのは仕事を始めて半年〜1年くらいの頃。

いまはまだ先輩に頼りっぱなしだが、早く自己解決できる力もつけなくては、と思う今日このごろ。

 

他職種連携

ちょっと悲しくもお尻に火のつく話。

先日、患者さんと面談していたときのこと。介護保険などのサービスについて質問があり、答えようと思ったら、医師から突然流暢な説明が...

もうソーシャルいらないじゃん、というくらい完璧&親切な案内。

なんだか、自分の不勉強さも恥じ入るところだったけど、そうやって医師が話してくれるなんてほかの先生ではないことなので感動もあり。

 

ただ、その先生が退院者のかかる病院への手紙を書き渋っていることにはすごくがっかり。私の判断が悪いのか思わず、ベテランの先輩に聞いたけど「なんで先生書いてくれないんだろう。普通は書くよね」と言っていたのでどうにかこうにか、やるべきことの道筋はできてきたところ。でも、こうして変化球が飛んで来ると対応できない自分が降り、あわててしまう。

 

今後の目標

これから考えているのは、いまの病院でしっかり働いて経験積んで急性期にいきたいということ。

やっぱり急性期でのソーシャルは求められるスキルも必要な知識も圧倒的に違う。急性期の経験もどんどんしていきたいと思いつつ、いまはいまで与えられた場所で頑張ろうと思う。

「ストレングス」視点に立つ

まもなく退院の時期を迎える患者さん(Aさん女性)がいる。

彼女の状況は

【家族状況】

  • 夫と二人暮らし
  • 他に身寄りがいない
  • 高齢

【経済状況】

【身体的・心理的状況】

  • 高齢
  • 下半身麻痺
  • メンタルが弱い

といった具合だ。

そうした中、「自宅に帰りたい」という希望を持っている。

ここ半年、治療をしてきたが歩行などはもってのほか、自尿も出ないのでバルーンを入れている。

PTもOTも「はっきりいってこれ以上は無理」との見立てをしているが、それでも本人は自宅に帰ることを望んでいる。

その理由は、

「一緒に連れ添った夫を家に残して別のところに。なんて考えられない。残りの人生、夫と過ごさせてほしい」という切実なものだった。

彼女を取り巻く状況は困難が多いが、私がここで見えていたものは、OTさんやPTさんとは少し違った。

【家族状況】

  • 夫がいる
  • 高齢である

【経済状況】

【身体的・心理的状況】

  • 下半身麻痺で身障手帳の取得が可能
  • 帰りたい気持ちが強い
  • 気持ちにブレがない
  • 身体状況を自分である程度把握している
  • 要介護4

とくに最後の「気持ちにブレがない」というのは支援する上でとても大きな位置を占めることを最近とみに感じるようになっている。

入院時に「とりあえず自宅で」という人は多いが、付帯条件がその後にいくつも出てきて「家は無理だね」となるパターンも多い。

しかし逆に、一つ一つの付帯条件をクリアしたり代償手段を考えて「絶対に自宅」というケースもある。

今回はこの後者のケースであった。

 

今回、OTから出た「無理」の最大の理由は「夫が主たる介護者になりえないから」ということであった。

夫はがんを患ったこともあり、身体的に健康ではないし、年相応の「衰え」を本人も自覚している。自分が妻を支えられないことの認識もある。

その上、比較的依存的で自身の介護保険申請もしていないという有様だ。

 

個別でも、病棟会議でもたびたびこの患者さんのケースについて話し合いを重ねた。看護師もPTもOTも「こんなにリスクが高くてこんなにできないことだらけで、本当に自宅なの?現実が見えてない」という思いをにじませながらの重い会議になった。

その中で、病棟師長が「確かにいろいろあるけど、まずはやってみようよ。できること1つ1つ確認して、本人がやりたいこと・やりたくないことを振り分けて、それでやってみないとわからないじゃん」と言ってくれた一言は、とても大きいものであった。

 

今回、師長さんの発言があるまで「自宅以外を患者さんに提案するのが医療機関の親切」という雰囲気があった。

その中で気になったのは、以下の2点だ。

  1. 患者さん本人のストレングスに立っていない
  2. 夫を介護者にしたがる

もちろん、一緒に住む人というのは非常に重要でありそれなりの役割があるが、夫自身がどこまでできて、できないのかを見極めていく必要がある。だが、その精査をしないままスタッフから「この夫のもとでは自宅は無理」「非協力的だから夫は帰ってきてほしくない(に違いない)」などのバイアスのかかった思いがすけて見えた。

 

「自己覚知」ということを社会福祉士の学びの冒頭で教わったが、自分のよって立つ価値観が支援にもあらわれることは否めない。その価値観とは何か、何が自分をその価値観に引き寄せているのか、よくよく内省していく必要がある。それはソーシャルワーカーに限らずとも必要なのであろう。

 

本人の思いの強さは、支えるスタッフたちをいろいろな形で動かす。この動きこそ、病院としても個人の専門職者としても成長させて貰える機会となる。

患者さんのストレングスは、実は従事する者にとっての非常に貴重な経験、スキルアップのチャンスでもある。

 

今回の患者さんは、「妻は夫を支えてなんぼ」と思う方で、私とはまた少し家族観が異なる。だが、「家に帰りたい」「夫のそばにいたい」との思いは大いに理解できることで、それを実現するために夫にも負担がかからず、妻の気持ちも実現する選択肢を探すことが必須であると考えた。

夫が支えられないのであれば、現在出ている要介護4でサービスをフルに利用して課題、リスクを1つ1つ減らしていくしかない。リスクも課題もゼロの家庭など実はどこにもないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

働く地域

ソーシャルワーカーの資格を取って働くなら「住んでいる地域で」との思いがあった。そのため、区内の病院を受けた。

晴れて受かった、まではよかったが同じ法人内の別病院に就職口をあてがわれ、今持って超セレブの住む、私の身の丈に合わない場所で働いている。

 

こんなにも、世の中には金持ちがいるのね〜ということも学びつつ、もう少し庶民的な、私と同じ目線の方もいる場所で――つまり全層を網羅するようなところ――が職場だ。

 

さて、そんなうちの病院が内のすごい近くの病院をこのたび買収するという。

ぜひともそこで働きたい!!!!

この気持ちは誰に伝えればよいのだろう。

 

働くからにはやはり、地域医療を意識して、地域で働きたいと思う今日このごろ。

 

「他職種連携」の意味

「他職種連携」はソーシャルワークで必ず出てくる話題であり、日々の業務の中でもよく言われている

が、実際に他職種よりも同業の中で相談→解決してしまうことも決して少なくなく、他職種といっても「多職種」にはならず、私のようなMSWの身からすると、理学療法士に相談、看護師に相談、などその時々の課題に対して蛸壺的に相談するにすぎない。

 

さて、そんなしがないソーシャルワーカーだった私が最近、というか今週一番感動したことがある。

 

受け持ち患者さんの中に、最近、歩行状態も悪くて熱発もあって、高次脳機能障害は全然相変わらず強すぎて...

家族は疎遠だし、退院期限近いし....で非常に困難なケースがあった。

あまりにも能力が下がっているのでCTを撮ろうということになり、(こういう提案をしてくれるのはだいたい看護師長さん)撮ったところ、特に変わりなし....

 

やっぱり脳は関係ないか、やっぱり本人の持っている力の衰えか…と諦めかけていた。

そんな中、新しく来た医師が読影をしてくれたところ、「これって水頭症がかなりあるよね。抜くだけでも随分変わるはず。この人の場合、こんなに悪いわけないよ。社会復帰だってできるんじゃないの?」と夢のような話をさらりと言ってのけた。

 

はっきり言って全くもって治療が進まない患者さんで退院後は療養か…と打診先を探し始めていたところだった。

今回の出来事で嬉しかったこと2つ。

1つは患者さんが元気になってくれる可能性が出てきたこと。それもかなりその確度が高そうであるということ。

2つ目は他職種連携の中に医師が入ってきたということ。当院が特殊なのかどうかわからないが、とにかく医師の酷さが際立つ。面談中に寝る、質問に答えない、誤診する、ということが日常茶飯事で(もう通報レベルだと思う)、そこをカバーしているのが看護師という状態。

当然、読影も医師に頼めないことが多く、急性期に相談するために撮る、ということも多い。

 

ところが、最近やってきた先生によってそんなヤブ医者ばかりじゃないよ、ということを初めて体験できて、なおかつスマートなオーダーを出してくれて、いるところにはいるんだ、まともな先生。

と良い経験ができた。

 

その先生がいられる時間は短いけど、その間に先生から学べることはなんでも学ぼうと思う。特に脳外の分野については。

 

他職種連携は、単に患者さんの支援を進めることだけでなく、知識を相互に深めたりつけられることがメリットだと思っている。

医師に提供できることはそう多くないかもしれないが、意外と福祉についてはご存じない方も多く、適当なことを言う医師も多い。

 

こちらも今一度、福祉についてきちんと正確なことを人に伝えられるようにしたいと思ったし、信頼できる人と働けるということは、どの職場においても重要なことであると改めて実感した出来事だった。

 

【MSW】約3ヶ月目でやっていること

ケース数

所属している病院の規模や病態期によっても違いはあるだろうが、私のいる回復期病棟では、だいたいベテランの人で40ケースほど。私は3ヶ月で15ケース前後を受け持つことになった。

以前、MSWの集まりに行った際に他の人が何ケースくらい持っているのか聞いてみたら、入職1ヶ月で、しかも前職でMSW経験もない人でもすでに5ケースを持っていると聞いて大いに驚いた。

 

入職1ヶ月の頃の自分といえば、入院相談を受けること、電話の取り次ぎをすることくらいしかやらせてもらえなかった。トライアル&エラーなんて許されないし、少しでも電話でまごついてたら「すぐ変わって!」と主任が血相を変えていたものだ。以来、“よくわからない”電話があったらすぐに主任に変わるようにしている。

 

さて、話がそれたが入社3ヶ月ともなるとじんわりと病院の中が見えてくるし、じんわりと慣れてくる。人にも業務にも。

 

入院から退院まで

MSWのやることとしては、入院から退院までの一貫した支援である。入院生活もさることながら大きく比重をかけているのは退院の支援。入院したら、退院をみすえていく。

これが今の日本の、医療界に求められていること。

この価値観に立って支援をしていく。

回復期リハ病棟は病気によって入院期限が異なるが、その期限を1日も伸ばすことはできないし、いつまでも「患者さん」でいるのではなく、「◯さん」という一市民としてのその人の生活を「取り戻す」ことがMSWのお仕事でもある。

初期に受け持ったWさんは3週間ほどで自宅に帰っていったし、間もなく退院する人も40日ほどのリハビリで帰っていく。

 

退院について考えること

入院してきて早々に退院の話をすることは、人によっては良いことだが人によってはキャパオーバーな話題でもある。

これまた初期に受け持ったMさんは脳梗塞後のリハ目的で入ってきたが、とにかく元気だったのに突然の発症。気持ちが追いつかなくてリハビリをして元気になるようなイメージも持てないでいた。幸い、家族が非常に協力的だったがそれでも家族にとっても本人にとっても人生を揺るがす大きな出来事であり、こういう場合には画一的なケアもコミュニケーションも取るべきではないだろうと思う。

 

思うのだが、ステレオタイプなことしかできないひよっこSWなので、なんとももどかしい。

でも、私が新人かベテランか、なんて家族にも本人にも関係ない。私が担当していることで「貧乏くじ引いた」なんてことがないようにしないといけない、と思う。

 

入院というのはある程度、条件が揃ってやってくる。

CRPが安定しているとか、既往症でリハを妨げるほどの心配がない、とか、本人がリハに積極的であるとか。

でも、退院時はみんな違う。退院したいと思うあまりリハの入らない患者さんも珍しくない。

一人ひとりの違いや思いを汲み取ってSWするということは、できる限り患者さん、家族の思いを実現させることだと思うし医療者とはまた違う言葉をもって関われることがこの仕事の良さでもあるのだろう。

 

言葉の重み、話し合いの重要性

かける言葉一つで信頼関係が揺らいでしまうし、入院中にナーバスなのは患者さんも家族も同じ。支えきれないもの、抱えきれない思いを持って日々過ごしている患者さんや家族の思いをただ想像すればよいのではなく、お互いに言葉にして話して、話したことをほかのチームメンバー(看護師やリハビリスタッフなど)に伝えて気持ちの方向について共通認識をもつことが大事。

大事なのだけど、それをするために日頃から他職種の人たちと良い関係を築いている必要があるし、なるべく苦手意識を持たないようにしなくては、と思う。

 

さしづめ、医師が一番その信頼関係を築くのが難しい人種。

普通なら素直に(?)どうも、と言われるようなことでも「あなたには関係ないでしょ!怒」みたいなこともある。

で、逆に気を使わないとそれはそれで怒るし。

そんな面倒臭さはきっとどの病院に行ってもあるのだろう。

 

まあ、どの業界にも変わった人はいるし変わった人と仕事をしていくのは社会人の宿命。誰かにとって、少なくとも医師にとって私もまた変わった人なのかもしれないし。

 

そんな摩擦も感じながらの3ヶ月。

15ケースが多いか少ないかはわからないけど、15人いたら15人の「帰り方」がある。それだけは心しておきたい。

【医療ソーシャルワーカー】機能別病棟のメリット・デメリット

今、私が所属しているのは「回復期」といわれるリハビリ病棟。

働き始めてまだ3ヶ月と満たないのだが、早速「この縦割り、すごい不便!」と思わされている。

病院の機能区分

医療法では大きく5つに病床を分けている。

だ。

一般、療養、精神はまあ聞いたことがある人も多いだろうが、結核感染症もわけられているのか、と気付かされる人も多いだろう。

さて、さらに病院は疾患の期間や症状により病院の機能を分けている。

である。しかもそれぞれにこまかな要件がある。急性期での治療を終えた患者さんが皆回復期リハにいけるわけでもなく、治療を終えても家で看られないからといって療養に行けるわけでもない。

それぞれの基準を満たし、なおかつベッドがあいていれば行けるのだ。しかも、これは恥ずかしながら仕事をはじめて初めて知ったのだが、療養にも介護型と医療型とあり、保険の区分が異なる(介護保険適用か、医療保険か)。介護型は医療型療養の「区分」(1〜3がある)の分け方に分類できない人が利用できることになっている。

精神病床も急性期、療養、身体合併、認知症とあり精神科を掲げている病院でも受け入れ可能な病院はそれぞれ異なる。

地域包括ケアは最大2ヶ月しかいられないし、回リハは疾患も期間も限られているし、療養型ではほぼ多くの場合でDNRと呼ばれる、蘇生措置拒否の確認が入院前に患者家族に求められる。

 

そもそも疾病の時期区分は大きく分けて

  • 急性期
  • 回復期
  • 生活期

の3つに分かれている。

生活期になると多くの場合は施設、在宅の期間になっていくが急性期は病院での治療期間、回復期は自宅もしくは回リハ等でのリハビリとなる。

 

区分でわけるメリット

こうした区分があると、非常にシステマティックだ。病棟はやるべきことに専念すればいい。回リハで看取る必要はないし(建前上)、療養では積極的治療をする必要もない。そういう特徴を病棟に持たせて、役割を担わせてそこに患者を当てはめていくのだ。合わない患者さんは他を当たってくれ、ということになる。あと、それを望まない人も。

なので、ベッドコントロールが比較的しやすい(という計算が働く)。

区分でわけるデメリット

ところが厚労省や偉い人たちが考えるようにはもちろんいかない。

ある患者さんを例に考えてみる。

Aさんは89歳男性。脳梗塞で急性期病院に入院し、治療を終えて回リハに転院してきた。

入院当初より、右の麻痺があり、嚥下も障害されている。

経鼻経管で栄養を取りつつも、家族が嚥下訓練を希望。何度かトライしているが、誤嚥性肺炎になりかかっている。

ある日、熱発が続き検査してみると誤嚥性肺炎の疑いが。

この時点で回リハでは「急性期の病院へ転院」となることが多々ある。なぜなら、リハビリのできない患者さんは回リハの適用外だからだ。

こうしてAさんは誤嚥性肺炎をするたびに転院をするのだが、肺炎を引き起こしてから数時間、ではなく数日しての転院となることも多く、弱った体を西へ東へと移すわけでその負荷はかなり重い。

似たようなことは整形外科を例に上げてもある。

回リハに入院中に骨折して転院となる場合も、連絡をとったり予約をあれこれとしている間、せいぜい回リハで処方できるのは痛み止めくらい。

骨折に対しての治療は行えない。レントゲンくらいしか撮れない。

うがった見方をすると…

なぜこんな仕組みを国が作ったのかわからないけど医療費が右肩上がりの状態をなんとか食い止めるべく、無駄な長期入院を排除し、家での生活を促したいというのが第一義だろう。

実際、急性期も回復期も在院日数をいかに減らすかを至上命題のようにして取り組んでいる。

でも患者さんを見ていると、なんだか切なくなる。

回リハに入院中、具合が悪くなるたびに転院させられ、治療が終わればすぐに出される。それがたとえリハのできる状況とはなっていなくても。

なんだか緩やかに死に向かわせているような恐ろしさを感じてしまうのだ。

 

MSWに求められていることは

なので、こうした制度の中でどうしたらMSWは少しでも患者さんや家族のために尽くせるだろうか、と考えてしまう。制度を越えていくことは非常に難しいし、その制度の中で病院は役割を果たし、その病院の中でMSWとして役割が求められている。それをちゃんとやっておけばいいんだよというのはまず、あるのだろう。

だけど、おかしいなと思っていることについて問題を言語化したり調べたりすることも大事だなと思う。

その一方で、患者さんと家族の負担を十分に受け止めることも求められているのだろう。実際、回リハ病棟で「ここで看取ってほしい」とおっしゃる家族もいる。

今の病棟の医師は「まあ、無理に移してなにかあっても良くないからね」とやんわり看取ることもありだよねということを内々では了承してくれているので、「何が何でも回リハから出すぞ」という鬼ではない。

それに、思うのだが医師、看護師、リハスタッフなどさまざまな医療従事者と家族との信頼関係があればその中でできるだけ過ごしたいと思うのは患者さん、家族の自然な思いだろう。

在宅のケースでも全く同じことが言えると思う。

大事なのはそうした「安心のいつメン」みたいな人たちの中で患者さんなりその家族なりが相談したり、時間を過ごせること。

もう少し総合的に患者さんを包んでいける仕組みを作れないものかなと考え続けている。