その「熱心」が苦しい
「ご家族は介護に熱心で、リハビリに積極的です」。
ケアマネージャーさんから得た家族の情報はこの一言に集約されている。一見、麗しい家族愛。献身的に30年近くも母と娘で父親を介護しているというある家族。
脳卒中による重度の麻痺を抱え、歩行にも支障がある父親。側方介助で家の中を伝い歩きして、外出するときは車椅子を押して…。
既往歴に糖尿病もあったけど、インシュリンは打ちたくないと、食餌療法ですっかりA1Cの値も下がったとか。
今回は、風呂場で転倒して圧迫骨折と大腿骨の骨折でほぼ動けない状態。
家族の目標は「歩いて帰って来ること、トイレも自分でいけること。ご飯も常食を食べられること」。
会話をしながら感じる違和感は、病棟での常軌を逸した要求で現実味を帯びた。
- トイレは昼も夜も1時間半おきに
- 水分量はペットボトルでml単位で測ること
- 朝の洗面は7時に、温水で行い、歯磨きは自分でさせること
- 食事は30分かけて誤嚥させないように
- 靴下は2枚履かせる
- 夕飯を食べ終えたらパジャマに着替えさせること
まだまだ数え上げたらきりがないのですが、このほかにも毎日、要求が増えていくご家族。
入院生活のルールや人員体制には御構い無しで自分たちが「こうして欲しい」と思うことを「こうして当然」と要求しており、できない=努力が足りない、誠意が足りないと特にか弱き、若き看護師さんをターゲットに怒鳴りつけるという有様。
リハビリは悪いものではなく、むしろリハビリを通して歩けなかった人が歩いて帰れたり、痛みがあって動けなかった人が痛みの回避や筋力アップで動けるようになったケースは数しれずあって、良いものなはず。
だけども、本人が望んでいることを通り越して家族のエゴイズムではないかと思うこともある。
特に本人はいたって普通の人で、トイレのタイミングも着替えのタイミングも自分が必要なときに言ってくださるし、家族には「いいから」と言ってたしなめてくださるのだが、それも家族には「父は遠慮しています」に変換されて誤った要求ばかりをして来るから困りもの。
あまりにも毎日病棟が振り回されているために、在宅の状況を確認したら冒頭の言葉があった。本人よりも家族がリハビリに積極的で家族のペースに本人が追いついていない様子も以前からあったと。
そして今回の入院で、「万が一、家の中も車椅子となった場合、お風呂やトイレも今まで通りではないかもしれません。一部、福祉用具を利用したりサービスを使うことも検討する必要があるかも」ということをちらりと醸したところ、奥様の顔が豹変。
「お風呂場はピカピカに磨き上げているの!そこに変な手すりなんかつけられたら溜まったものじゃないわ!黒ずみができないようにしっかり磨き上げているんですっ!!!!」
………。
返す言葉がなくてそのボールも拾いきれなかったけど、とりあえずツーバウンドくらいして転がったものは引き取ったよ。
この家族にとって、父親が一番快適に過ごせること、安全に健やかに生きていけることよりも、風呂カビの方が重大事なのだろう。
「リハビリをさせたい」という言葉の裏に何かもっと別の意味を感じてしまう出来事だった。
麻痺はリハビリで急に良くなることはなくて代償手段の獲得も大事なリハビリだけど、それを見ないふりして本人がとにかく動くことを強いるのは、私にはviolenceだと思った。
時々いるけれど、そして自分自身が子育ての中でそういう風に子どもに強いることがないか振り返るきっかけになったけど。
まだまだ来週からも向き合い続けていかなくては。