MSWのこぼれ話

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福祉について考える①

今、未就学児が2人いる我が家は、2人ともゼロ歳児の時から保育園のお世話になっている。

上の子が今年最終学年なので、利用6年目となる。

上の子は8ヶ月、下の子は5か月からお世話になっているので離乳食も午睡の習慣も立った歩いたも、「自分で」(という自我の芽生え)もトイトレも全部保育園で習得したに等しい。

 

保育園を利用するにあたって準備するものは以下のようなもの。

  • 午睡時用の敷くタオルとかけ用のタオル
  • 洋服
  • スタイ
  • オムツ、おしりふき
  • 靴、上履き。

あれ...以上だ。

午睡用の布団もおもちゃももちろんのこと、色鉛筆やお道具箱もはさみもノリも用意されている。

ついでにお楽しみ会や運動会の衣装も「先生」の手作りである。

子供が年長になり、ある日、本人の棚にお道具箱があってふと気がついたのは、そういえば保育園にかかる諸費用って何も請求されないなってこと。

遠足での交通費、バス代もそうだし、お道具箱も手作りの衣装も...。

 

これがきっと小学校に上がると教材費や校外学習費用としてもろもろお金がかかるのだろう、つまりここは福祉と教育の大きな違い・境だなと気付かされた。

福祉ってつまりそういうことなんだ。

福祉にはお金がかかる。運営側にお金がとてもかかる一方で、利用する側の負担は極端に少ない。保育園は応能負担なので収入によって保育料が変わる。

 

でも、「だから福祉も利用者からお金をどんどん取ればいい」という話ではない。

そういう考えの人もいるけれども。

もっと親がお金を出して保育園を利用すればいいという人は「福祉って社会保障費のムダ金」と言っているように思えてしまう(思いすぎだろうか)。

 

福祉の勉強をして必ず学ぶのが「自助・互助・共助・公助」という考え。

自分でなんとかしてよねという自助の中には、その人自身の持つ強みであったり生きる力も含まれていてネガティブなものだけではない。

この中に自助・共助・公助がわかりやすくまとまっている。↓

http://www.utsunomiya-syakyo.or.jp/workplan/pdf/0.pdf

 

社会福祉士の養成コースでは、自助でもうまくいかないときに共助や互助で支えあってそれでもダメなら公助、という風に習ったけど、なんとなく、思うのは公助という大きな枠組みの中で日々の生活は自助や互助・共助で成り立っている、という図。

保育園などはまさしくこの公助の枠組み。

自分がまさか、福祉を利用するとか福祉が身近だとか考えたこともなく生きてきたけれども、案外生活の中に福祉ってあって、それに支えられている。

 

先日、税金の話をツイッターで見かけた。

1000万の収入の人の税金が約300万ほどなのだとか。年収300万円ほどの人の税金はおよそ60万円とのこと。

それで、1000万クラスの人は「貧乏人を支えて自分が貧乏になってる」という嘆きの話だったのだけど、そもそもそれは近代国家、民主主義国家においての社会保障制度が存在する限りは、「そういうもの」なのではないか?と思った。

 

私は年収300万でも1000万でもなく、日々貧乏に暮らしているし、他人の納めた税金で賄われている保育園を利用し、図書館を使い、道路を歩き、上下水道も使っている。

税金が高いとか使われ方が酷いとか、そう思うこともあるけれども「自分の税金で貧乏人が生活しやがって」なんて思ったことは一度もない。

考えたこともなかったし、そういう考え方に触れた後もやっぱりそういう考えは受け入れがたいなと感じた。

 

仕事柄、経済的に困窮する患者さんや家族とどうしたら少しでも経済的負担が軽くなるか、一緒に考えたり制度を案内したり、できること・できないことを検討する機会がある。

経済的な課題ばかりでなく、体や脳に傷を負った人が「家に帰りたい」「働きたい」といった希望を実現できるような高齢福祉や障害福祉のサービスについて利用検討することもある。

苦しく・辛いこともあるリハビリを経て、自分のこれまでとは違う身体状況、精神状態を抱えつつもハードやソフト面で環境が整えばその人らしく生きる生活がまた実現できるというケースは多い。

 

福祉制度を使わずに「これまで通りどうぞその生活を」と送りだせれば良いけど、病気や怪我によって使わざるを得ない人もいる。

そういう人が身近にいてもいなくても、社会がいろいろな状況に置かれた人をゆるく助けている社会は円熟していると思う。

 福祉を成立させるには、就労世代を中心に多くの税金を必要とするし直接恩恵を受けない(子どももいないし障害も持ってないし高齢でもないし)人にとっては、煩わしいものなのかもしれない。

 

けれども、目に見えぬ誰かのために、まだ見ぬ未来の誰かのために(もしかしたら自分のためにも)お金を使うってそんなに嫌なことかな。

 

税金の運用や配分にはもちろん、まだまだ見直すべきこともあるだろうし、金持ちは納税してればいいなんてこれっぽちも思わない。

 

健康で働けることはありがたいこと。だからたくさん働いて、たくさん税金納めて全然働けない人を支えていくのもかっこいいんじゃないか?なんて思いつつ、今日も子どもたちは保育園へ。