MSWのこぼれ話

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もしもの世界

いつの間にか、経験年数的に回復期の専従加算が取れるようになっていた。MSW3ヶ月目とか言ってた時期が懐かしく、戻らなくていい過去でもある。

でも思い返せば、あの頃いた唯一の良心である脳外科医に(私が勝手に)助けられ、知識をなんとかかんとか習得することができた。

2年目の途中で今の職場に転職したけど、そこからは本当に全部が学びだった。それは、反面教師的な、何度も心が削がれるような時間ではなく、こんなにもadd onされることがあるのかという日々。

で、今のMSWの仕事が本当に楽しいと思う日々なのだけど、ふと、もしもと考える。

もしももっと学生時代とか社会人になって割とすぐにこの職についてたら...。そしたら、絶対に留学して海外の病院で働きたかったなと思う。

今でもそうだけど、日本の基準や考えしか知らないから自分の中の尺度が短いことを感じている。

海外に行ったからそれが長くなるわけではないかもしれないけど、比較検討すらできる知識、材料がないから、できれば海外に出たいと思う。

 

その上で、まあ今の病院は好きだから日本で働くのはいいかなと思ったり。

なんてありもしない過去の車線変更を考えたりする。

こういう時間は無駄なのかもしれないけど、自分ができないこと、もうどうしようもないことを考えるのも嫌いじゃない。

もしもの世界はないけども、過去は変わらないけどこの先の人生で海外で研修など受けられたらいいなと漠然と考える。ただ、目下、大暴れの子どもたちが巣立つことが最優先事項。

 

となると、海外留学など一体何年先になることか。

怒りに震える

先日、ICがあった。

以前、当院に入院していた方が別の病気で急性期に転院して、その治療後に再入院してきたというケースだ。

ICの途中、ご家族が肩を震わせ、泣き始めた。割と感情の起伏がある方なので私も医師も看護師もその状況を受け止めつつ、落ち着くのを待っていた。

先生が二、三励ましの言葉をかける。

けれど、ご家族の悲しみは止まらない。

よくよく話を伺っていると、主治医であり執刀医の医師から「今回はうまくいかなかった。うまくいかないと思ってなかったけど、手術はうまくいかなかった」と。

うまくいかないと思ってなかった...

 

家族の願いも無視して検査もせず、強行突破で手術をした上に「やっぱできなかったわ」という話。

その後も、命の危機になるような状態があって緊急オペを必要としたけどご家族としては同じ医師に執刀されることへの不安、ためらいがあったようで、「本当に手術しないとダメですか」と聞いたら「やりたくないなら別にやってあげなくていいです。こっちだってやりたくてやってるんじゃない」と言い切ったとか。

 

ご家族の悲しみ以上に私の怒りが沸点すれすれ。

は????

医師は自分が偉いとでも思ってるのか。

家族がどんな思いで患者さんを託していると思ってるのか。

医学部から出直してこい!と本当に怒り心頭。

まあ、私が怒っても仕方ない話で、ご家族とは今、そしてこれからのことを一緒に考えていこうということしかできないけれども。

同じ組織にそうした残念な言葉かけをする医師がいたことに心底遣る瀬無さを覚えた。

 

唯一の救いは、ご家族が信頼している同じ科目の他の医師は、「家族の気持ちを考えてね」とその医師に忠告してくれてたみたいだということ。

完璧な人はいないし、ご家族の気持ちだけ考えてたら治療も治療計画も立たない、進まないということもある。それもわからなくはないけども、改めてMSWとしてどういう対応が求められているのか?ということも考えさせられた。

怒りを覚えた私は、きっとこれは個人的な感情。

で、これはケースに対しては何も新しい何かを生み出さず、むしろ弊害になるかもしれない。

でもこの怒りを覚えたという自分自身の思いもまた、認識しておこう。

大好きな先輩がよく言ってた。

「急性期治療を終えて、あなたは患者さんのご家族にどんな言葉をかける?」

「大事なのは労い」と。

 

大変な決断を、ご家族は一身に背負い、重圧にも苦しめられていたかもしれない。容体の変化に一喜一憂されていたことだろう。

本当に大変な中をよく来てくださったということ、その気持ちをぶつけてくれてありがとう。

って。

私の力不足を感じる日々。医師と私と看護師とでその話を聞いて一つの思いが生まれている。「今後、どんな結論を出すことになるにしても、私たちはご家族としっかり話をしていくし、一緒に考えていく。最後のサインはご家族かもしれないけど、私たちはその一歩前まで寄り添っていくよ」って。

 

最終的にどういう結論になるか、私もまだわからないけどいっぱい考えていっぱい調べてベストを尽くし続けよう。

 

本業とあまり関係ないICの話。

医師が患者さんと家族に向けて病状を説明するIC(インフォームド・コンセント)に同席することが多い。多くのMSWがその経験をしていると思う。

そして私はこの時間がすごく好き。

 

ICのとき、ワーカーは気配を消して息を潜めて(いるような気持ち)で同席しているのだけど、他職種のプロフェッショナルな一面を見ることができて、大変勉強になる。それに、患者さんの体のことを把握する点でも勉強になる。

 

だからICの説明が上手な先生だと同席していていつも聞き惚れてしまう。上手というのは言葉巧みと言うこととは違う。

採血結果、画像などを見せながら経緯を説明して、今体がどうなっているのか、なぜそうなったと判断できるのか、今後どうなっていくのかを丁寧に説明していると言うこと。

 

以前の病院ではほとんどの医師がそのICをできず、あからさまに適当に話して「はいはい元気ですね、はい終わりです。さようなら」とか言って勝手にIC室を出ていくこともあったし、少し質問されると気色ばんで「ここはないか専門病院じゃないんですよ?そんなこと知りたかったら9世紀受診しますか?」みたいな先生もいた。

 

あの人たちはなんだったんだろうか。医師免許、あったんだろうか。

 

転職して今の病院に勤め始めて毎度感心するのは、先生たちのコミュニケーション能力の高さ。全員が同じではないけど、それなりに丁寧に言葉を汲み取り、向き合っている。そして優しい。

優しさがにじみ出るICだから家族も本人もちゃんと病状を受け入れるし、ちゃんと自分の治療や療養に向かってくれる。

病院において医師の力ってすごく大きいんだと改めて感じる。先生と患者さんとの信頼関係がしっかりしていると、良い方向に進むことが多い。

最近、説明を聞いて学んだのは、装具の話。

 

麻痺のある患者さんに装具をつけて歩く練習をする、という話だったけど、なぜ装具が必要かというと、

「麻痺があると膝を曲げてといっても足首の関節から膝から全部の関節を曲げようとしてしまう。伸ばしてというと全部伸びてしまう。どこの関節を動かしているのか、自分でよくわからなかったり上手く動かせないことがある。だから、装具で固定して曲げるべき関節だけ動かせるようにするんです」

と話していて、心から納得。わかりやすい!と思った。

 

勝手な思い込みかもしれないけど、これまで脳神経外科医で下手なICを聞いたことがなくて、どの先生もみんなすごく説明が上手。伝わる言葉で話してくれる。

たまたまなのかもしれないけど繊細な手術をするから割と細やかなのかもしれない。

 

自分自身、どの言葉を使って患者さんやご家族と話しているだろうと考えさせられるし、自分も言葉を磨いていきたいと思う。

 

他職種からの刺激と学び

先日、急性期で外来担当しているベテランの作業療法士から電話がかかってきた。

以下がその時の話。

「そちらに入院してるMさんなんだけど、Sさん(リハビリスタッフでMさんの担当者)から相談があって少し関わることになりました。

Sさんも多分全容把握できてない気がするけど、画像を見る限りでこことあそこに障害が残る可能性が高い。このパターンだと医学的なリハビリではなかなか気づけなかったり検査しても数値は異常なかったりする。だけど確実に高次脳機能障害は残りそう。

元気になりました。仕事に戻ります、という前にちょっと相談してほしい」

 

そういう話だった。

そして続けてこう言われた。

 

「今、どんな支援計画を考えていますか?」

 

この問いかけ、すごく重くすごく大切に思った。他部署のまして他職種にMSWの支援計画を共有する機会などなかなかない。

また、

「アセスメントの中ではこういうものが見えてるよ」といったベテラン作業療法士の見立てを聴く機会もなかなかない。

 

今の職場で働いていてとてもありがたいことの一つが、人の層が厚いこと。こういう場合はどうしたらいいのか?というときに上司や先輩以外にも相談できるし、確認できる。

 

担当のケースを複眼的に見ることは支援内容をクリアにしてくれたり濃密にしてくれることがある。

 

こういうことを他部署の人に言われて不快感を示す人が時々いるけど、個人的にはすごくありがたいと思う。

時々、「こう言われてしまった」と急いで支援内容を変えようとてしまって、影響されすぎて自分だけでなく患者さんを振り回してしまうことにもなりかねないけど、そういう自分の揺れにも意識を向けておけば、次の行動や言葉に出る前に考える気持ちの余裕が持てる。

 

今回、アセスメントの能力が自分には足りなかったなということを痛感した。

アセスメント能力って全身をアンテナにして向き合ってないとなかなか身につかないなぁと思うし、これからも短かろうがしっかり聴く姿勢と心構えを持って患者さんと向き合っていきたいなと思う。

 

ちなみにMさんの件はまだ続くけど、いつかMさんが仕事に戻れるように今のこの時期を精いっぱい支援していきたいと思う。

 

自己覚知を何度でも。

相談者が来た。

 

  • 介護保険の申請をいつしたら良いか。
  • 親を家に連れて帰れるのか。
  • 経済的にかなり厳しい状況。

などなど、相談は多岐にわたる。

つい、病棟看護師やコメディカル、医師と多くのコミュニケーションをとっていると、「早く介護保険を申請して」「家に帰れない可能性もあるよ」「経済的に厳しい?生活保護?」という思考になりがちだと最近反省している。

経済的安定は、精神的安心を産むことがある。介護保険はないよりあったほうがいい、特に骨折ったり脳血管疾患にかかったら。家に連れて帰るなら家族が面倒見られるの?

 

などなど、本当に水が高きから流れるように迷いも疑いもなく、そんな思考に陥りがち。

そして「こういう風にしてください」「ああいう事もありますよ」という話をしてしまいがち。

でもその一歩手前、喉から声に出す手前で言葉を飲み込まねばと思う。

それは一体誰のために?

何のために?

今必要なこと?

って。

自分がワーカーとしてどう判断するか、どう考えるかという以前に、その前に今相談者は私に何を言いたかったのだろう。

何を聴いて欲しかったのだろう。

その言葉を、思いを自分はどれくらい汲めているのだろうか?

汲めていないとすればそれを阻害するものは何だろうか?

 

そういう自省が絶対的に求められていると思う。

それこそが自己覚知。

自分の言葉で頭をいっぱいにする前に、相手の言葉を受け止める広い心と頭でいたい。

 

 

障害と代償手段とanother life

先日、ばったりBさんの家族とすれ違った。

初冬に退院したばかりの方で、自宅に帰ることができず、他の病院へと転院した方だった。

まだ若くてギリギリ介護保険を取得できたが、お子さんも小さく妻の介護を受けて生活するという選択は取りづらく、ゆくゆくは施設入所も視野に入れての転院だった。

 

Bさんは脳血管疾患だったが、どうしても高次脳機能障害も麻痺の度合いも重症で、最後までこれが本来のBさんなのか、病気で変わってしまったのか、わからないままだった。

家族にとっては「こんな感じでした」というものの、なんとなく気だるそうな雰囲気で。もしかしたら、家にいるオフモードのご様子が病気によって、病院での常になったのかもしれない、と考えていた。

 

そんなBさんだったが、間も無く転院先からも退院の予定だという。

うちの病院にいた頃のBさんしか想像できないから、退院して家に帰るの?どうするの?ということが気になったが、「今も外泊中で家にいます」とのこと。

しかも、歩けなかったBさんが自宅の中は杖を使うものの歩いているという。

 

訓練も充実していて自立を促す病院への転院だったものの、その伸び具合にちょっと驚かされた。

Bさんの妻は「家にいて、ここからもう少し機能訓練してもいいし、どうしようかなって考え中」と話されており、相変わらずチャキチャキとしていた。

入院中からすごく熱心だったし、すごく前向きだった。

そしてすごく可愛らしい方で、ちょっと無愛想なBさんがこの可愛らしさと一生懸命なところに惹かれたんだろうな〜なんて思うほどに、すごく良い雰囲気の方で。

その雰囲気も変わらず、「次」を見ていた。

 

突然の発症で小さい子供を抱えて絶対に泣いただろうし、不安も悩みも悲しみもあっただろうと思う。そのことを思うと、胸が締め付けられるけど、弱音は吐かずにいつも「彼にとって何が良いことですか?」と聞いて、勉強なさっていた。

 

そして、Bさん自身も一つ一つのステップを踏んで、いよいよ家に帰るというところまで来ているのかと思うと、なんだか感無量だった。

それでも、スタスタと歩けるわけではないし、一人でどこにでも出かけられるほど高次脳が改善しているわけでもないとのことで、そのためにどうする?という次なることを考えなくてはいけないとのことだった。

だけど、Bさんもご家族も今と未来を見据えて歩んでいらっしゃることがひしひしと伝わってきた。

ワーカーなんて本当にできることはわずかだけど、BさんとBさんのご家族が歩んでいく今後の人生が願ったり想像してたものと全然違ったとしても、このご家族で歩んでいくことに変わりはなくて、人の人生の分岐点に立ち会わせてもらえるってやっぱりすごい仕事だなと思った次第。でした。

怒りの感情は支援の阻害要因。

まもなく退院するAさんの話。

とにかくわがまま放題で身体機能うんぬんよりも本人の「気持ちの問題」でリハビリが進んでないというのが急性期からの前評判だった。

ご家族も結構なキャラクターで入院初日から「いちいち病院から呼ばれても困るんで。私も仕事あるし病院になるべくお任せしたい」と言っていた。その日も朝11時の退院に間に合わずに寝坊してしまったとのことで1時間半遅れで到着した。

波乱の幕開け。

 

そこから毎日順調にリハビリをしていて、「家に帰る」という気持ち満々だった本人。ただ、ご家族からは「何年も前から施設に入ってほしいって言ってるけど家に帰ると言い張ってる」と困った様子で相談されていて、どうなることやら...という状況だった。

 

ところがある日、動けるようになって自信がついたのか自分で動いてしまい転倒。

その日を境に「痛みとの戦い」みたいな日々になってしまい、自宅退院もどんどん遠のいていった。

ちょうど介護保険の区分変更調査はその事故の前に入っていた。

年明け、出勤したらリハビリの担当者から「施設方向は無理ですか」と相談され、本人が全く動けない状態でもあったので、先生とも本人とも相談して施設も検討することに。

 

在宅のケアマネージャーにも連絡して自宅に帰れないかもしれない旨を伝えた。ケアマネはホッとした様子だった。

 

それから数日。施設の実調がきて、本人は「やっぱり施設やだ」とのことだったが、在宅に戻るにはあまりにも介助量も多くて返せる見通しも立たず、ひとまず退院前カンファレンスでケアマネージャー、家族の1人が同席して話し合うことになった。

 

その話し合いも紛糾と平行線。

家に帰したくない娘さんとケアマネ(なぜ?)、本人の意向もくみたい病院、という図式になってしまい退院先が決まらないまま会議を終えた。

会議後のこと。

本人と家族の間で意見が割れてる以上、在宅に戻る場合の準備を進めつつリスクも説明し、施設に行くメリットとデメリットなども本人と家族に話してあとは、週末に他の家族も交えて話してもらうことになった。

 

そして週末。

もめにもめた話し合いのすえ、本人の希望通り自宅退院することに。

さらに悪いことに介護保険の結果は要支援のまま。

 

その報告を週明けにケアマネージャーにすると、なんとも怒りに満ちた空気感で「そんなことして病院は責任取れるのか。家族は本当に納得しているのか。サービスは組めない」といったことを矢継ぎ早に話された。

 

そして最終確認として、必要な手すりや福祉用具、サービスについて確認の連絡をしていた時のこと。「支援で(要支援で)そんなに手すりを使う人いませんから。何千単位使うか知ってますか!」とご立腹の様子。

そりゃそうでしょう。

区変の調査のタイミングも悪かったし、本人は気持ちを押し通すし、家族は呆れて手を引き始めてるし。

でも今目の前にいる本人が家に帰ることは確定しているし、ケアマネージャーは在宅に戻ったら本人のケアプランを考えてスムーズに在宅生活が送れるように力になってくださらないといけないわけで。

 

病院としてもできる限りのサポートをしていくしかない。

という主治医の方針もあり、本人も家族も今回は(不承不承でも)在宅という選択をしたのだから、そこに感情や反論を挟む余地はないはず。

ケアマネさんの怒りを見ていて、支援について改めて考えさせられたし、日頃、なるべくフラットでいようと思って他職種にも患者さんにも接しているけど、改めて感情移入しないことの大切さを思い知った出来事だった。

 

自分が何かに強い負の感情を抱くことで、見えるものが見えなくなる。

たくさん心配していることも、どうしても無理な時には看護師や病院に連絡をほしいことも伝えて(訪問看護や訪問診療先に)いるけど、在宅チームのまとめ役がどうにも「やりたくない」と言いつつケアマネを降りないことが解せない。

本人の前でも幾度となく、強い口調で「こんなんだったら迷惑かけるんだから!」とか「私はやりきれません。ケアマネやめますよ」と脅しつつ話していて、すごくベテランで頼れそうな人ではあるものの、自分にとって都合の悪い人、相性の悪い人には冷たいんだろうなという印象を受けた。

 

自分ももちろん100人いて100人とうまくできるわけでもないし、やりにくいと感じる人もいる。

けど、少なくともそれが患者さんや家族だったら、やりにくいと感じるほど、その気持ちをなるべく自覚して相手と関わるようにしたいと思っている。

やりにくさや付き合いにくさから逃げている時、それを相手のせいにしている時は絶対に良い援助関係は結べないと思うから。

 

良い勉強になった。

何はともあれ、患者から一生活者に戻っていく患者さんがこの先も長く安全に過ごせるようにと願ってやまない。