MSWのこぼれ話

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【雑記】ある高齢女性患者さんの嘆き

家事と子育てがメインに忙しく、ブログ更新ができない日々だけど、考えさせられるケースについて。ソーシャルワーカーとして、というよりも一人の人として。

ある認知症のおばあさんの話

おばあさん(Aさん80歳)と出会ったのは、私がほんのわずか出向していたグループ病院でのこと。夏の暑い日、ニコニコとして丸っとした可愛いおばあさんが入院してきた。

お孫さんと過ごしていた拍子に転んでしまい、腰椎圧迫骨折と手根骨折(手首の骨折)を受傷したとのことだった。

足繁く、旦那さんはお見舞いにきて、お孫さんも夏休みを利用してよく来てくれていた。

幸いにも、リハビリが進み、また痛みなく歩けるようになって杖も使わずに退院をしていった。要介護1が出たが、元気そのもの、ケアマネージャーさんと相談し、訪問リハを週1回くらい利用すれば、もうサービスがなくても、病前よりも元気になれそうというくらいに元気になっての退院だった。

ただ一点、MMSEという認知症状を把握するスケールでは18点とやや低め。それでも家族と生活するには十分にまだ在宅に問題ないというレベルと判断した。

少しだけ、家族が配慮できるといいな、という状況ではあり、それを旦那さんに伝えての退院でもあった。

それから程なくしてケアマネージャーから一本の電話が入った。Aさんがドアも開けてくれず、全くサービスの利用につながらない、と。

 

同居する旦那さんや娘さんにも会えるように頑張ると言って一旦は電話を切ったものの、本人の退院後受診の時に、来てくれるという。

退院した患者さんではあったものの、入院時との落差に不安を感じて私も対応に出た。

Aさんは退院からわずか2週間なのに風貌が全く違ってしまっていた。痩せこけて、足元はフラフラ。一番気になったのは表情の強張りだった。

私の顔は覚えていたようで(というか制服を覚えていたのに近い)、安心した様子を見せてくれたが、こちらから声かけすると、泣きながらこう話してくれた。

「あんなおじいさんのこと、みんないい人、いい人っていうけどちっともよくない。辛い。誰も私のことわかってくれない。あんなひどいおじいさんはいない。私のことを放っておいて出かけちゃうし、孫のことは見てくれないし、掃除もしないし。若い頃から遊んでばかり、借金したり女作ったり、どれだけ苦労させられたか。

なのに私に歩け歩けって、もっと動けるって。動けないことをわかってくれない」

概ねそうしたことを訴えておられ、苦痛を感じていることがよくわかった。旦那さんは通院にも付き添っていて確かに傍目にはとても甲斐甲斐しく見えるし、仲良しにも見えていた。

でも、彼女が抱えていた悲しみは深くて、大きかった。

入院というフィルターの中では明らかにされなかったし、孫のために早く退院したがっていたが、実際には家族に理解されない辛さを抱えていたのだ。

入院中、気づいてあげられなかったことも申し訳なく思うと同時に、こういう場合には何をしてあげることが彼女の助けになるのだろうと考えさせられた。

 

幸いにも相談できる上司が身近にいたために、「まずはここの通院後に、他に医療機関に繋げてあげること、地域包括の保健師さんに相談することが適切では」とアドバイスをもらい、報告をした。

ただ、彼女の日常は今も続くし、そもそもまだ何も解決の一歩にもなっていない。

ソーシャルワーカーとしてなんとも言えない無力感を覚えた。

と同時に、若い頃から苦労して子どもを育てて、シングルになった娘の子の子育てもして、日々いっぱいいっぱいで生きて来たAさんが、認知症になった時、Aさんの中の不安がものすごく大きくなっていった。その不安に寄り添ってくれる人が実は家族にいなかったということはなんて切ない現実だろうと思った。

決して悪い人ではない(と思える)旦那さんもAさんの認知症を理解するにはあまりにも年老いていたし、働き盛りの娘さんは一緒に食事を摂るタイミングもない。お孫さんはまだそうした状況を理解するには若すぎる。

いろんなことが少しずつずれていた。

 

私は彼女の孤独や不安を聴きながら「それでもあなたはここでいくらでも話していいし、よく頑張って来たし、素敵だよ」という以外にかける言葉がなかった。何も慰めにはならないけども。

 

自分が離婚を決意したことの一つに、このまま婚姻関係を続けて自分の夢を少しずつ諦めて、相手にも諦めさせて、そんな非クリエイティブな生き方を選んで、私はこの人を恨むのだろうか。恨むかもしれない。

だとしたら不誠実だ。と思った事が大きい。なぜ不誠実かというと、知ってて婚姻関係を続けたから。そしてその言い訳を「子どもがいたから」なんて言った日には、子どもに首を絞められそう。ていうか、私が子どもだったら「誰も頼んでない!」と激怒するに違いない。

 

Aさんはきっと、もっと純粋に一生懸命、おじいさんのため、子どものため、孫のために生きて来たのだろう。私のように自己中心な考えがないからこそ、今すごく辛いんだろうと思う。

 

今からでもAさんの人生(時間、命)を、Aさんのために自分のために使っていいんだよって少し思った。

それが結局は家族のために向かうかもしれないし、日がな一日、テレビを見て過ごすことかもしれないし、人それぞれだけれども。

誰かのために生きる時間も、それが自分の生きがいや喜びにならなければ、結局辛くなる。

 

ソーシャルワーカーとして考えさせられると同時に、自分の価値観がものすごく出そうになるケースだった。それってものすごく危ないし、それに気づいていかないとね。