MSWのこぼれ話

不定期に更新します

【雑記】MSWの仕事①

特に章立てで書く予定があるわけでもなく、最近の経験を記録として書いておこうと思う。

最近、立て続けに2人の患者さんご家族とじっくり話す機会を得た。

共通しているのは

  • 自宅に本人を帰してあげたい
  • 自分が介護できる自信がない

ということだった。この点は話す前からわかっていたご家族の気持ち。

でも、

もっと知りたいことがいっぱいあった。

なんで家に帰してあげたいのか、介護のどの部分に自信がないのか。自宅じゃない場所で生活を送ってもらうことを考えた時に不安なこと、嫌なことは何か…などなど。

 

詳細は書けないけど、とにかくとりとめもなく思いついたことをいっぱい話していただいた。最近、患者さん本人とのやりとりで感じたこと、傷ついたこと、嬉しかったこと、家にいた時はこんな人だった、こういうことをしていた、自分はこういう風な思いでこれまで接していた、などなど。

ご家族(キーパーソン)が持っている価値観やファミリーヒストリーから生まれた家族関係などなど、ソーシャルワーカーはものすごく色々なことを聴かせていただく。

 

そういうものの山積からご家族の訴えが出てくる。

「眠れないと言っても薬を飲ませないで」「家に連れて帰るにはトイレは自分でいけないと」など病棟にとっては本当に困る要求もあるけど、その訴えや要望の奥にはご家族の中で大事にしてきた価値観、介護経験の中で得てきた経験値がある。

ただ、そのことと、それを受け入れられるかはまた別。「わかりました。じゃあ薬は使いません」「何が何でも(転ぶリスクもとって)希望に沿って歩行させます」ということは簡単に言えない。

要望の裏に隠されているもの、本当に大事にしているものを汲み取って話し合って「本人にとってどうすべきか、どうしたら良いか」を探っていくしかない。

 

何時間もご家族の話を聴いていて、「聴くこと」がなければ相手の考えの根底や言葉の裏にあるものは読み取れないし、「聴いてもらった」経験を持たずにこちらの話をしっかり「聴く」こともなかなかしてもらえない。

 

「傾聴」って本当に難しいし、聴いた話には解釈が生まれてその解釈ゆえに誤解や見当違いも生まれてしまう。だけど、産業カウンセラーの勉強で学んだ、傾聴における共感的理解、自己一致、無条件の肯定的配慮がものすごく生きていることを感じる。

 

相手の考えに自分を重ね合わせるのではなく、「限りなく透明な自分」になって今目の前の人が振り絞って出す言葉一つ一つを聴いて、それを受け止めていく。返答もできないし、質問も出てこない。今それを受け止めていくことに集中する。

でも、それを続けることで相手の表情や感情が変化するタイミングがあって、その人なりの答えーー「ダメだったらやっぱり施設も考える」とか「やっぱり第一選択は在宅介護」とかーーが出てくる。

またその決意は変わるかもしれないし揺れるだろうし、一度の面談で何もかも解決したりわかることは絶対ない。

だけど、深い面談を一度でもすることによって気持ちや決意が揺らぐとき、変わるときにまた相談してもらえるかもしれない。

そのことが確実に支援の質を変えていくと私は思う。

 

カウンセリングに始まりカウンセリング終わる(面談に始まり面談に終わる、とでもいうか)と言えるくらい、ソーシャルワーカーの仕事って傾聴する面談なのではないか、と思う。

ただの退院屋、退院係じゃないよっていうね。

まだまだ面談の質が低くて先輩に指摘されて、あーーーーってなることも多いけど少しでも支援の質を良くしていけるようにスキルも知識もつけていきたい。