MSWのこぼれ話

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【時事】川崎殺傷事件が投げかけたもの

川崎の殺傷事件から約1週間。

速報では誰が犯人変わらなかったが、そのうち、犯人が自ら命を絶ったこと、50代であったこと、長い間、自宅に引きこもっていたこと、おじ・おばに育てられた境遇であったことが報道からわかった。

 

そしてこの事件以降、引きこもり×事件の報道をたびたび目にしている気がする。

さらに8050問題を取り上げるニュースメディアも急速に増えた。

増えたけど、内容は何も心に響かない。犯人探しをしていて、「引きこもりってわがまま」(坂上忍)とか言ってしまっていて、何の提言にもなっていない。

無論、彼らは提言などするつもりもなく、井戸端会議の拡大版を日々やっているのだろうけど。

 

今回の事件で私が感じた2つのこと。

  • 引きこもっている人が犯罪を犯すわけでは決してないこと。
  • この種の犯罪は他でもなく、私たち一人一人が遠因になっているのではないかということ。

1つ目の話は、以下にもはっきりと提示されている。

blog.livedoor.jp

引きこもりの当事者団体に関わっている友人がいる。彼自身も、少し社会に生きにくい面も持っていながら、大人になって診断されて障害を抱えつつ生きている。きっと、彼自身は引きこもらなかったけど、引きこもる手前の時期もあっただろうし、だからこそ当事者団体に携わっているのだろうと思う。

 

引きこもっている人の中にも、引きこもってない人の中にも一定数、社会に怨念を持って生きている人はいて、何かのきっかけで犯罪に走ってしまうケースがある、というのが現実であろう。

引きこもり=悪、わがままで済ませられればとても簡単な話なのだけど、そうではない。

今日もジャーナリストの池上さんという人(池上彰じゃない)が言っていたけど、引きこもった背景には個別に様々な事情がある。社会に出られず引きこもらざるを得なかった、引きこもらされてる現状というのをまず理解しなくてはいけない、というようなことをおしゃっていた。

全くその通りだと思う。

 

もしかしたら、本人すら気づかない理由もあるかもしれない。

なんか、いつの間にか出られなくなってしまって、気づいたら抜けられなくて...

とか、ある日寝坊したら次の日も出社できなくなって...とか。

以前、記者時代に引きこもりについて取材をした時、「朝、起きられない。どうしても起きられなくて数年間、引きこもっていた」という人がいた。

本人も、自分のだらしなさからくると自分を責めて、家族にも呆れられて...。

でもある日、体調を崩して病院に行ったら、起立性低血圧や甲状腺の病気などを実は患っていることがわかって、内服治療を始めたら少しずつ、体調も良くなって今では週4日ほどのアルバイトもできると話していた。

これは一例だけど、いろんな人が、いろんなきっかけで家から出られなくなってしまっている。

 

家なら居場所があって引きこもれるのであるとすれば、家の存在意味ってとても深く、大きい。

 

だけど、家が社会や世界の全てではなくて人は人と出会っていく生き物なのではないかと思う。

2つ目に感じたことにもなるけど、拡大自殺のような事件の容疑者の多くが社会との接点がとっても偏っていたり、孤立感、孤独感を深めている傾向にある。

 

今回の報道でも時々登場する「支援」という言葉をどう考えるか、この事件を通して考えさせられているが、支援て何も右にいる人を左へとか上へといった引っ張り出すような、枠組み当てはめていくようなことでは絶対ないはず。

 

支援の最初は、「関わること」なのではないか、と思う。

その人の持っている時間のリズムや言葉やトーン、波長をよくよく観察して、その人の心の底に何があるのかをよく考えること、話を聴いたり話をしたり。

そういう関わりの中でその人の必要が少しずつ見えてくるのではないかと思う。

 

そしてその関わりってやっぱり出会って顔を合わすことで関係が育まれていく気がする。

ネットで完結するものとしないものがあって、人の繋がりはネットでは完結できないだろう。ネット入り口になるけど、その先には声を聞いて、顔を見て、直接会って時間を過ごして。

そういう積み重ねは、自分の中にたくさんの無形遺産を作っていく。

その積み重ねこそが本質的に自分を律するし、強くするし、自分のアウトプットを変えていくような気がする。

 

もし、人生に自分への関心を寄せてくれる人が1人でもいたら。

どうしようもない怒りや悲しみをそばで聴いてくれる人がいたら。

 

嬉しい気持ち、喜ばしい気持ちって誰かと共有するとさらに膨らむように、憎しみや怒りってそれを静かにしっかり聴いてくれる相手に共有すると適切に矛を収められることがある。

誰が悪いとか、わがままだとか言ってしまうこの社会には、本当に絶望しか感じないという人も多いだろうけども、こんなにも痛ましい事件があったのだから、もう二度と繰り返さないために、できることを一人一人がやるべきだと思う。

 

www.newsweekjapan.jp何度読んでも考えさせられる。例えばこういう選択を持っていたい。日本はそれだけでだいぶ変わるのではないかと真剣に考える。