MSWのこぼれ話

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ソーシャルワーカーでよかったこと。

ソーシャルワーカーという仕事にもっと早く出会っていたかったなと思うことがよくある。

物理的に経験が積めない(あと10年若い子にはもうどう頑張っても経験値として50歳になった時に開きが出るし)、やりたいことがたくさんありすぎで学びきれないと思ったり。

自分に合った仕事だなと思うのも大きい。

とはいえ、今まで経験してきた仕事も「なんて天職!」と思ってやってきてたから「それはそれ」と思ってはいるけども。

 

でも、何が一番よかったかというと、ものすごくいろいろなことを想像できるようになったこと。

 

とある日の午後、患者さんのご家族がお見舞いに行くところをすれ違った。一見、着古して最後に洗濯したのはいつだろうかと思う服を着て、でも足取りは確かで、病院に向かって歩いていた。

知らない人からしたら「どこにでもいるおじさん」なのだろうけど、その方の姿を見てあれこれと考えるきっかけになった。

その方のご家族は療養病棟に長いこと入院をしていてコミュニケーションを取れる状況ではない。けれど、患者さんのご家族は一日とあけることなく毎日お見舞いに来ていらっしゃる。

もしかしたら、リタイア後は夫婦水入らずで旅行に行こうと考えていたかもしれない。

飼っているペットの世話を二人でやったり、孫の面倒を見たりということを楽しみにしていたかもしれない...。

いろいろとやりたかったこと、行きたかった場所があったかもしれない。

だけど、今、目の前にある現実は家族が意識障害の中、何年もベッドにいてお見舞いがその家族で過ごす唯一の時間と場所になっている。

 

何気なく道を行き交う人の中にもそうした事情や背景を持つ人がいるかもしれないし、またもっと違う事情を抱えた人がいるかもしれない。

そういう想像をリアリティをもって描けるようになったのは私自身にとってすごく大きいことだった。

昔、新聞記者をしていた時とすごく似た感覚。

あの頃はとにかく出会った人の内側にあるものをどうやって言葉にしていこうかという思いの中でやっていたし、今は出会った人の心のうちをどうしたら丁寧に、丹念に支えていけるかということを考える。

 

記者もワーカーもやりがいがある。両方大好きな仕事。だけど、今の病院で働いていることも関係しているけど関わりの丁寧さや繊細さをすごく考えさせられ、悩みながらの日々。

 

毎日のようにお見舞いに来るご家族に、心から敬意を思うし来られないご家族もまた、いろいろな事情があってのこと、関係性があってのことなんだろうなと思う。

どっちがいいとか悪いとかそういうことじゃなく、どの人にもあるいろいろな気持ち、現実の課題、そのどれも見逃さずに支援していけたらなと思う。