人を支援するとはなんだろう。
あけましておめでとうございます。
もう昨年になってしまうけど、忘れられない患者さん(Aさん)がいる。
つい最近あった出来事で今も終結していない話なのだけど。
Aさんはある事業を長年しているビジネスマンで、入院当初は経営者然としていて「個室に入れたら入りたい」とも話していて、どちらかというとレディメイドの制度利用よりオーダーメイドを望むような節も感じられていた。
とはいえプライドが高そうということもなく、入院のはじめは「命が助かったのは良かった。けど何もワカンねぇんだよ」とよく言っていた。
そのわからなさが、私も汲み取りきれていなかったが、リハビリスタッフからの話でどうも重い高次脳機能障害が残存しているとわかった。
本人もその自覚があってよく涙されていた。
リハビリの時間以外は仕事を精力的に行うものの、何せ高次脳のせいでどこまでやったかとか何をどうしたら良いかなどが途中でわからなくなってしまうらしい。
会社の人ももちろん、事業を回してくれていたけどなかなかワンマン社長だった故に難しいこともあり、入院2ヶ月目からは外出して職場に行ったり銀行に行ったりとされていた。
「なんとかなってます」
仕事のことを伺う度にそういう答えを聞いていて、こちらもAさんの経済状況には深く踏み込まずにいたのだが、退院まであと数日というある日のこと。「退院したら事業を畳みます」と。
どこまで本当の話なのだろう。Aさんを支えてくれているのは遠方に住むいとこ。そのいとこに話を伺うも、「Aのいうことは本当です。マズイみたいで」と。
今更退院を取り消して入院させることなどできない(だろうと思った)。
それに、経済状況がどこまで悪いのか想像もつかない。
退院後に利用する予定のリハビリや訪問看護師のことなど、全てがペンディングになってしまった。
「この人の在宅生活を支えるところがどこにもない」。
そんな状態での退院となってしまい、退院時に利用予定の在宅ケア担当の人の名前と連絡先を一覧で伝えて、「こちらからも連絡します」というのが精いっぱいだった。
翌日、すぐに上司に相談したところ、「それは生保(生活保護)になるかもね。その手前の相談センターもあるから行ってみたら」とアドバイスをいただき、すぐにその翌日にAさんと行政の窓口に行った。
小一時間ばかり、親切丁寧に教えてくれたものの、生活保護を受けるためのハードルがおそろしく高くてAさんは意気消沈。
私も病状から考えてAさんに「今申請しましょう」とは言い切れず、「いとこにも相談してみてください。生活保護を受けることで得られるメリットもあるし、今の状況を考えると対象ではあるので選択肢にはなりうると思います」ということを伝えるのがやっとだった。
ちなみに、生活保護受給のハードルが高いというのは、以下のようなことを言われたからだ。
- 今の家を引き払って他の家を借りることはできない
- 転宅の費用は生保では出ないだろう
- まずは寮に入ることになる
- 寮に入ってそこをすぐ出られることはない
- 寮には半年とか1年とか長期的にいることになるだろう
- そのタイミングを判断するのは生保ワーカー
- 出るには就労するなどのきっかけが必要
- 家族がお金を出してくれれば別だけどね
という話。
Aさんは高次脳の障害があるゆえにまだまだ就労できる状態ではない。
おまけに内科疾患も抱えていて今後も継続治療が必要でそんな寮生活自体、かなり難しい。
家族といってもいとこだし、いとこにも子供がいてAさんを経済的に支えることは難しい。
相談センターで対応してくれた人には全ての事情を話した上だったけど、それでも上記のような回答でその日、申請をすることはできなかった。
後日、Aさんが生活保護の窓口に申請に行ったものの、他の担当者からも同様の説明をされ、電話をくれた。「もうダメです。生活保護も受けられないし生きていくことができない...」と。
足を運んで説明を聞きたい、相談に乗って欲しいと言っているのに通り一遍のAIみたいな対応をする役所の相談係にも憤りを覚えたし、Aさんの窮状をなんとかせねばという気持ちしかなく、「Aさん、今から行くのでまだちょっとだけ待っててください」と言って、駆けつけた。
改めて転宅がダメという根拠など確認したものの、話は尻すぼみ。「そんなこともないです」とか「事情があればそれも与します」とか、なんとも歯切れの悪い返答。
私が同席して改めて生活保護の申請をお願いしたところ、「退院した病院のワーカーですよね。(なんでここに??」と言われながらも、クレームと思ったのか、主任さんが対応してくれてなんとか申請自体が受理されて一安心。
まだまだ支援の途上だし、正直Aさんにとって生活保護の申請ができれば彼自体を支えられた、援助できたことになるのか?と思うとそうではないと思う。
ただ、今のぐちゃぐちゃになってしまった生活と経済を整えるのにどうしてもお金が必要で、その時に生活保護の制度は必要だったということ。
これからも、彼が生活を整えて健康を維持してリハビリを通して就労に向けての本人なりの高次脳の障害との付き合い方を体得していくその過程を伴走する誰かは必要となる。
今回、生活保護の申請をAさんとしているときに、医療面から寮生活は不適切であることを伝え、同時に「在宅設定を全て整えていた矢先の廃業だったので、独居生活はサポートがあればできます」ということも付け加えた時に「すでにサービスまで調整がついていたのであればできるだけそれを崩さないようにしたいですね」と生保窓口の方がおっしゃってくださったことが印象的だった。
病院のソーシャルワーカーなんてその人の人生をずっと支えることなんてできなくて本当に短い間のこんにちはとさようなら。
でも、だからこそその日々の中で家に帰った後のケアや連携先を適切に、的確に繋いでおく必要がある。
正直、サービスをどうするか考えていた時は生活保護になるとは考えていなくて、もっと気軽に考えていた部分もあったけど、きちんと在宅での生活のための環境を整えておくことが思わぬところで意味を持つことがあると知った。
知識不足、経験不足を日々痛感するけど、一人一人に誠実に向き合うこと、相談に耳を傾けること、透明性を持って支援にあたることを今年も肝に銘じたい。